
まだ働けるのだけれど、ちょいと職場環境の変化で・・・
ホームドア設置で、今や京急のなかでも異端となってしまった4ドア車の800形が引退しました。
写真は、待たなくてもビュンビュン800形が走り回っていた頃のもので、今は金沢シーサイドラインが乗り入れて橋上駅舎に変貌をとげた金沢八景駅での撮影です。

3両編成の懐かしい姿に一時的にされて、訓練に供された時もありました。
当時、廃車となった仲間もおりましたが、訓練が行われる時期には解体が終わっているので、営業車がお仕事をお休みしてはせ参じていました。

また別の年の訓練の様子。
オフィシャルが直々に(嘘)電車を仕立ててくれました。
この編成では技術的な問題で、どう頑張ったって電気があろうが運転手が居ようが走りません。
訓練の筋書きに忠実になるからこその、4両編成の京急800形でした。

順序良くトップナンバーから廃車が始まり、新車の数に合わせて数を減らしていきました。
架線も無ければ、パンタグラフも上がっていない、最後のお遊び幕でなんちゃってエアポート急行に化けていました。

廃車をされたあとは、東京で顔だけ保存されている1両が居るほかは、つつがなく重機のエサとなりバラバラに解体される道を歩みました。
昭和54年に、前年に同じくデビューした国鉄50系客車とともに、鉄道友の会のローレル賞を受賞する栄誉に浴した800形。
50系客車が早々に働き場所を失い、車齢10年ちょい越えくらいで大量廃車の憂き目を見たのにくらべ、最後の最後に玉突きのような廃車劇を展開するも、事故で1両も失われることなく活躍し続けた800形。
話題豊かな花形電車ではなく、俊足が売りの京急のなかで、100キロも出せば爆音を響かせて走っていた姿に、今日ピリオドを打ちました。
コメント:ちょいと昔は800形にあたると「ハズレ!」と思っていた管理人