>草疲労さん
こんばんは。 改めまして、捜索依頼をありがとうございました。 コルトには800、1000、1100、1200、1500と各排気量を総なめにしてライトバンモデルが存在し、その始祖とも言えるモデルに今回出会えたのは大収穫でした。 コメントでモデルチェンジと触れられているのは同じような顔でも、どこかスッキリとしたリファインされたような顔立ちの1100になり、今回の個体がチェンジ前のはじまりのコルトバンになります。 こんばんは。
こちらへのコメント忘れてました。 コルト1000と言われると初代のコルトバンを思い浮かべてしまいます。実際良くお会いしますが、モデルチェンジ直後はまだ排気量がそのままなんですね。この型のコルトは余りお目にかかれないので、本当に目を付けた甲斐がありました! >コロニーさん
コルトバンが視界に入るのは、アルトのリア側の道からは不可能で、フロントが見える側の道から1枚目の写真のように捉えることができました。 ご近所ですが、いびつな果樹園の形で、見える角度が限られたため見えませんでしたが、目印は古墳のこんもりとしたお山です。 >羽前の国の旧車狂さん
古墳には看板はありましたが、農道からの入口に案内は一切なく、アンマリな史跡でしたが、そのおかげのコルトバンであることは確かそうです。 タイヤは草の間から辛うじてトーヨーが垣間見えただけで、鈴木B360も四輪を確認していましたが草勢良く諦めていました。 周辺は一面ぶどう棚で、山梨では一昔前までは国分尼寺の礎石がぶどう園の中にあったくらいですから、この古墳もぶどう園の一画であったと思われます。 コルト1000バンとは結構なレア物ですね!
先日紹介されていた初代アルトは知っていた個体なのですが、その近くにこのような大物が眠っているとは気付きませんでした。草に覆われていて自然と一体化していたからでしょうけど…。 いつか、アルトの場所まで行って注意深く探してみようと思います。 三菱車は弱いので昭和40年以降と判り良かったです。特にこの時代親父が教師になる以前勤めた三菱時代なので、武骨さが目立つので特に判りにくいです。
さて車よりもこの撮影場所に凄く痺れました。神秘的、おどろおどろしさを感じ、より年代が進んだ草ヒロがその感を助長させますね。こちら羽前にも教育委員の指定はないが、史跡と草ヒロのコラボの風景が1つありました。廃車の撤去要請がない所をみるとそれ程の物ではなさそうですね。 見える範囲からの感想としてタイヤは乗用車タイヤなので、おそらくは前だけでしょう。後ろはライトトラック用で、さもなければ車検は通りません。「コルト靜岡三菱」が良いですが、中古購入でしょうね。私のクラウンは初めは「東京トヨペット」でしたが、何故か結婚する少し前に剥がれ落ちました。 |
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