日本海CCR2015の帰り道に(10)

やまばと号

4枚のガラスがキッチリとはめ込まれたフロントの上にはスピーカーが設置してあった名残の穴があります。
まだ残るワイパーを見れば、窓ガラスの大きさに比べて拭き取れる領域があまりに小さく思えます。
フロントガラスに残されたステッカーは昭和50年で時を止めていました。

やまばと号

フロントから少し下がり、車体全景を見渡せる場所へ。
ブルーシートを被ったものに遮られてフロントマスクは全く伺えません。
車体の左側面は、折りたたみのドアと助手席の引き違い窓の他は、ゴムでピタリとはめ込まれた正方形に近い窓が5枚、自動車の窓らしくないものが並び独特です。

やまばと号

リアにまわると、大きな1枚開きのドアが真ん中に配され、人だけではなく大きな荷物でも難なく出入りができそうです。
車体右側には、左側と同じ正方形の窓が6枚並び、運転席の引き違い窓に至ります。

やまばと号

左に比べて右側面ではサビの色合いが若干薄く、青い字の「やまばと」と、黒い字で農業協同組合(地名は公開にあたり修整)が書かれているのが分かります。
後ろ寄り2枚の窓の中には、車内に棚が置かれているのが見えます。

やまばと号

後部の大きなドア周りにズームインすると、大きなドアを支える物々しいまでの蝶番、右のレンズの下にボディ架装メーカーのステッカー、ドアの下には最大積載量2500・・・などと色々と見えてきました。
次の写真でメーカーがわかる部分をだしまして、オーナーより伺ったお話に移りましょう。

やまばと号
やまばと号

トヨタ自動車工業
移動スーパー「やまばと号」

型式・年式不詳
長野県中山間地域にて
2015年9月撮影

山間地の村々が合併をして町となった昭和30年代、1万人以上の人々がこの地域に住んでいたもので、子ども世代が多く一軒に7人も8人も居たとのこと。
この移動スーパーが活躍していた頃は、まさにそんな時代だった。
移動スーパーが引退した頃には人口が1万人を切り、今では半分にまで減ってしまい、空き家が何軒も出てくるようになってしまった。
今の市長は、中山間地域についていろんな事は言うが、人が居ないことにはどうにもならない。
家は直せば何十年ともつのに・・・と、雨が降りしきる中、突然訪れた旧車趣味人に、農作業の手を休めて話をしてくれました。
移動スーパーについては、農協から持ってきて物置に使っていて、雨漏りもし始めたし「ソロソロな~」という風に仰っていて、降りしきる雨も手伝いシンミリとなりそうなところで、旧車趣味的な部分を追い求めるのを止めました。

外観から分かった範囲では、フロントに掲げられているTOYOTAのプレートからフロントグリルにライト周りが、キャブオーバートラックDC80Cが昭和41年MC顔と似ています。
その一方で、最大積載量2500(kg)という部分に注目すると、その領域にある車はダイナであるため、その頃のダイナ(昭和38年~昭和44年の2代目)のシャーシにボディを架装した特装車であろうと推測します。

15102308.jpg

それと、点火時期調整のステッカーが朧気ながら確認できました。
昭和43年以前の個体であることは確かであります。

10月28日追記
ベースとなった車両は、ダイナがベースであればトヨタライトバス風に収まるところですが、車体を特装している部分と、ダイナでは最大積載量ジャストでは性能面でギリギリ過ぎると考えられるため、ひとつ上のクラスであるだろうと推測します。

コメント:管理人

コメント

>mako☆さん

数枚の写真から数多くの分析ありがとうございます。
ステッカーには一部未判読ながら「長野車体××」の文字が読み取れました。
道路幅が1.5車線にならないような場所が大半の山間地で使われる特殊性に合うよう寸法を合わせるためオーダーメイドされたための1台でしょう。

追伸

全長とホイールベースのバランスを考えると、4tのDC80Cのシャシーですね。6tだと、オーバーハングを切りつめても、全体的にもう少し長くなるはずですね。

たしかに、ベースとなった車は最大積載量ピタリではなく、それを上回る車両というのは正解です。積載量は車両総重量-車重なので、ダイナクラスでは2500kgは取れないでしょう。この車に関しては、大型トラックにCOEバス用のボディを架装して後半を座席ではなく荷台としたものですね。ダイナクラスなら、わざわざ新規にボディを架装せず、ライトバンやマイクロバスをベースにしているはずです。小さく見えますが、きっとダイナクラスと並べると、わずかに大きいと思いますよ。
ナンバーは小判なので、大型車をベースとしながら積載量を落とすことで(ついでにバネも柔らかくして?)総重量を8t以下に収めて登録したのでしょうね。
ちなみに、テールランプの下(ナンバープレートの上)のステッカーは良く判別できませんが、ボディの架装メーカーのものでしょうか?

>羽前の国の旧車狂さん
>シャオさん
>mako☆さん

元となった車については、現地ではマッシーダイナ(昭和44年~)だとほぼ決めて見てきましたが、各部を後で見ると点火時期調整ステッカーが判別できたため、年式が合わなくなってしまい、記事公開に際してはダイナあたりとしました。
ダイナとしましたが、車体に加えて最大積載量を積むことを勘案すると、ベースとなった車は最大積載量ピタリではなく、それを上回る車両が妥当であると訂正いたします。
車体サイズはマイクロバスのサイズに収まっているようです。

そのグリルとボディ形状、あきらかにマッシーダイナではありません。写真ではサイズはわかりませんが、トヨタ大型トラックをベースにキャブオーバーバスのような専用ボディーを架装したものです。
最近の検診車と同様、ボディ形状はバス風ですが、フロントグリルはベースとなったキャブオーバートラックの後期型グリルをそのまま使っています。

これまた歴史のある珍しい車両ですね

マッシーダイナってようつべで検診車を走らせている動画がありましたね。

テールレンズから判断して昭和39年式以降である事は間違いありません。又良く観察されましたね、点火時期調整のステッカーなので42年12月31日(27日)以前の車両でしょうね。

多分ですがマッシーダイナの可能性が有ります。TOYOTAが何よりの証拠。当時のダイナはTOYOPETでなければなりません。

 車輛の特性から考えて40年式が妥当か?と思います。無論特装車なので市販車とは違う点も多いでしょうね、多分当時は8ナンバーだった事でしょう。
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