![]() ![]() ![]() いすゞ自動車 昭和50年~55年頃の北村ボディのいすゞバス 元所有:伊那バス ボディー:北村製作所 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 用水路沿いの細い道から草ヒロのために脇道にそれてもまた戻って走り続けます。 そして、いすゞBYからものの数分で、またも伊那バスの廃車体を用水路の向こうに見つけました。 途切れることを知らないかのような草ヒロの連鎖にテンションは上がりますが、見えるすぐ傍にいても用水路に阻まれていたりと簡単には行けず、ひと手間ふた手間かけて写真に収めていきました。 庭に置かれたバスの後ろは建物、前には様々な木々が植わり、木々の葉が落ちる今でなければ三枚目の庭木に囲まれたサイドビューしか拝めなかったかもしれません。 フロントのいすゞエンブレムから昭和50年頃からの個体で、以前見かけた伊那バスの個体と同じスタイルに見えます。 ![]() 2台のフロントガラスを見比べると、左側の今回の個体が4分割、右側の昭和56年式の個体が2分割という違いがあり、今回の個体の方が古いというのは確かですが、BUからCL/CJ/CP系へのFMCが昭和55年なため絞り込めませんでした。 日本のバス年代記(グランプリ出版)や昭和と走ったモノコックバス(三推社・講談社)といった書籍を見ましたが、北村ボディについての記述からも分からず、昭和50年~55年頃の北村ボディのいすゞバスという答えが管理人の限界です。 コメント:管理人 元伊那バスファンさまによると、昭和52年に導入されたBU04であるとのことです。 |
>元伊那バスファンさん
懐かしんでいただけて幸いです。 昭和52年導入のBU04と研究の成果をご教示頂きましてありがとうございます。 まだ見ぬものや、もう見られないものも多いとは思いますが、 市街地で見た古いものから、平成になってから廃車になったというものまでと、伊那谷で見ることができる伊那バス廃車体の多さと幅の広さは以前から感じていました。 このバスは
こちらの伊那バスの車両ですが、手元の資料ですと
1977(昭和52年式)のいすゞBU04になります。 当時2両導入されたうちの1両です。 平成の頭頃には引退していたと思います。 伊那バスのBU04は全て北村ボディでの導入で、 導入年次によって細かい差異がありました。 バス窓車や新製時は中ドアのみのツーマン仕様だった車両も 存在していました。(後年前ドアは増設改造された) それにしても伊那バスの車両は引退後も路線・貸切車問わず倉庫代用などで伊那谷に結構な数残存していたので、車両研究に随分役立った事を思い出します。懐かしいです。 >ナトリフミノリさん
なるほど、年式ごとの違い参考になります。 BU04ですでに2分割窓ガラスであるなら、それ以降のモデルは除外できますね。 >守護月天シャオリンさん ブルドックと言う元になるフロントの縁取りが、バス会社のカラーリングによっては愛嬌のあるものに様変わりするのが不思議です。 昔よく路線バスで乗りました 三菱ふそうのMP118ブルがめっちゃ好きでした。
私の想像ですが
多分このバスは昭和50年~52年の
いすゞBU04だと思います。 某バス会社にあった昭和53年式BU04は 2分割のフロントガラスで、前ドアの窓も大きくなっておりました。 各バスボディーメーカーでは昭和50年前後に、 フロントガラスを4分割から2分割にしているので この個体も昭和50年頃の可能性が高いと思います。 個人的に北村ボディのバスは大好きです |
|
トラックバックURL
→http://kusahiroexploration.blog107.fc2.com/tb.php/2924-876e53e1 この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) |
| ホーム |
|