

鉄道省→(途中略)→日本国有鉄道→東海旅客鉄道
クモハ120412008年5月6日
長野県上伊那郡箕輪町にて撮影
■車歴
デハ73331/昭和3年(1928年)竣工
モハ30131/昭和3年(1928年)称号改正により改番
モハ11047/昭和28年(1953年)称号改正により改番
モハ10016/昭和28年(1953年)運転台撤去改造
クモヤ22112/昭和39年(1964年)運転台設置改造・事業用化改造
クモハ12041/昭和62年(1987年)旅客車化改造
平成14年(2002年)廃車
伊那松島運輸区の傍らに留め置かれたまま保管されていたクモハ12041。
昭和3年に落成した17m級の片運転台電動車モハ30形まで遡れる歴史ある電車で、
昭和28年に運転台を撤去する改造を受けて中間電動車のモハ10形となり、
昭和39年に撤去した運転台を車体両方に設置し直す改造を受けクモヤ22形となります。
この時点で、運転台を撤去したり付け直したりと大忙しです。
クモヤ22形になるとともに旅客営業からは離れ、事業用電車として裏方に回りますが、
国鉄末期の昭和62年(1987年)に再び改造を受けて旅客用のクモハ12形となります。
第4の人生をあゆみはじめたクモハ12041は主に飯田線でイベント列車として活躍しますが、
別事業者での鉄道事故をきっかけに高められたブレーキ装置の基準に合致できずに引退します。
伊那谷をウロウロしていて偶然通りかかった伊那松島運輸区で
クモハ12を撮影したのは平成20年(2008年)5月の事で、
廃車から6年が経ったボディーはサビや退色で痛々しい姿で、
佐久間レールパークにも入れずにどうするのだろうか?とサビいく姿を見て思ったものですが、
それから3年後にお色直しされリニア・鉄道館に収蔵されることになるとは思いもよらず、
さらには傍らで憩う119系が飯田線から居なくなるなど考えもしませんでした。
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