鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(2)

ED19 1
ED19 1

鉄道省→日本国有鉄道
ED19 1

長野県箕輪町郷土資料館にて
2008年5月6日撮影

ED62 14

日本国有鉄道→東海旅客鉄道
ED62 14

静岡県旧佐久間レールパークにて
2006年7月29日撮影

ED19は大正時代の6010形、後のED53を前身とする直流電気機関車で、
アメリカのウェスティングハウスで造られた6機が
電化されていた東海道本線で活躍の後は改造を受けてED19となりました。
昭和35年からは全機揃って伊那松島区にあって飯田線で貨物列車を牽引しており、
このED19やED18(リニア・鉄道館に保存車あり)、EF10(九州鉄道記念館に保存車あり)が、
昭和50年前後まで飯田線で活躍をしていましたが、それを一挙に置き換えたのがED62でした。

ED62は、前身を中央東線で活躍したED61とする直流電気機関車で昭和33年に登場し、
EF64の登場で中央東線を追われたのちは改造を受けて全18機がED62となり、
前記にあるように旧型電気機関車たちを飯田線から一掃しました。
しかし、鉄道貨物輸送の斜陽化により仕事がどんどん無くなっていき、
活躍の場所を失った14号機は昭和59年に廃車となり車籍を失うも、
工場の構内専用車として活躍の後に佐久間レールパークにやってきました。
リニア・鉄道館の開業に際しては保存車両とならず、解体されて果て現存しません。

今日紹介の2機の機関車はともに登場時は幹線で列車を牽引していましたが、
後釜が入るに及んで活躍の場を追われて転じていき、
転じた先では元に居た旧型車を淘汰して、その時ごとに敵役を演じてきました。
転じても仕事があった時代はまだ幸せで、ED19は半世紀あまり働けましたが、
ED62の頃となると勝手は違い、誰かに追い出されること無く活躍の場を失いました。

コメント:管理人

コメント

>羽前の国の旧車狂さん

EF15~EF16に始まる直流時代の福米区間。
改造車ではない本格山岳用のEF64が投入は、輸送力で逼迫する現状打開のためで、ヨン・サン・トオの山形まで交流電化が織り込み済みでしたが、数年でも板谷峠のスターであったのは、ロクヨンの誇れる歴史でしょう。

お祖父様にとってヨン・サン・トオは苦労が報われた最良のテープカットであったことでしょう。
また、国鉄マンとして奥羽本線の華やかなりし頃を支えられたお祖父様に感謝の念を抱かずにはいられません。お疲れ様でした。

 EF64

 ED62を追い払ったそうですが、元々は福島機関区に配置されました。昭和39年末に2両試作され、40年までには12号機まで製造されました。

 では何故福島に配置されたか?実は「ヨンサントー」改正までには奥羽本線は交流電流に変換するとなって居り、その当時配置されて居た旧型電気機関車を何とか使って居た方が得策なのですが、もはや当時の鉄道事情ではそれでは間に合わないので、数年で配置転換するが、新型のEF64を導入しなければならないほど深刻な状態でした。

 原因は山形ー福島間の板谷峠です。物凄い急勾配でディーゼル特急「つばさ」のエンジントラブルが頻発し電気機関車で牽引する必要も有ったし普通列車の運行でも必要でしたので旧型を何とか使いこなすは不可能でした。当時山形駅助役だった祖父はかなりの苦労した話でした。彼は何度か駅長の話はあったけど、晩年「もし俺が駅長になったら、義理の息子と同じころ(親父です)いやもう少し早く死んでいた」と云います。元々体が弱く、余り人の上に立って働くを好まない人でした。平成3年75歳で亡くなりました。

 昭和43年6月遂に待望のEF71が導入され落成式では祖父がテープカットに出て居ました。そして10月1日から運用は開始されEF64は福島を去りました。

 
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