>羽前の国の旧車狂さん
EF15~EF16に始まる直流時代の福米区間。 改造車ではない本格山岳用のEF64が投入は、輸送力で逼迫する現状打開のためで、ヨン・サン・トオの山形まで交流電化が織り込み済みでしたが、数年でも板谷峠のスターであったのは、ロクヨンの誇れる歴史でしょう。 お祖父様にとってヨン・サン・トオは苦労が報われた最良のテープカットであったことでしょう。 また、国鉄マンとして奥羽本線の華やかなりし頃を支えられたお祖父様に感謝の念を抱かずにはいられません。お疲れ様でした。 EF64
ED62を追い払ったそうですが、元々は福島機関区に配置されました。昭和39年末に2両試作され、40年までには12号機まで製造されました。 では何故福島に配置されたか?実は「ヨンサントー」改正までには奥羽本線は交流電流に変換するとなって居り、その当時配置されて居た旧型電気機関車を何とか使って居た方が得策なのですが、もはや当時の鉄道事情ではそれでは間に合わないので、数年で配置転換するが、新型のEF64を導入しなければならないほど深刻な状態でした。 原因は山形ー福島間の板谷峠です。物凄い急勾配でディーゼル特急「つばさ」のエンジントラブルが頻発し電気機関車で牽引する必要も有ったし普通列車の運行でも必要でしたので旧型を何とか使いこなすは不可能でした。当時山形駅助役だった祖父はかなりの苦労した話でした。彼は何度か駅長の話はあったけど、晩年「もし俺が駅長になったら、義理の息子と同じころ(親父です)いやもう少し早く死んでいた」と云います。元々体が弱く、余り人の上に立って働くを好まない人でした。平成3年75歳で亡くなりました。 昭和43年6月遂に待望のEF71が導入され落成式では祖父がテープカットに出て居ました。そして10月1日から運用は開始されEF64は福島を去りました。 |
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