>羽前の国の旧車狂さん
タイヤに対しての深い分析、痛み入ります。 探索をしていて多々リボンタイヤのみ残されている光景を目にしますが、探検隊レベルでは「車体は何処へ」で流していましたが、 羽前の国の旧車狂さんの視点で見ていければ、タイヤから車を想像でき、悔しさ半分ですがより深く観察できそうです。 羽前の国に探索で赴ける機会ができましたら、ご連絡いたしたいです。 鈴木B360の奥方の故郷が宮城の中央部で、「廃車探しに隣県に行きます。」とは言えない事情がありますので、いつの日になるのか全然読めませんが、その折にはよろしくお願い致します。 あっ、分析で
抜けて不明点ありました。「仮に事故で~」の後ですが抜けました。 仮に事故でSTD用になったとしても、通常はもう暫く乗るのでDXのRT46ⅤならわざわざSTD用を使う事は到底考えられず、ホワイトリボンタイヤを使う事は余計考えられない。従ってPT47vと考えるのが通常である。 更に当時は中古部品を使う事は余り一般的では有りませんので中古部品でSTD用になったも不自然ですね。 基本的に初めからSTDのPT47vである事の方が自然である。 これをすっ飛ばしました。 タイヤについてはオリジナルはリヤタイヤがPT47ならOPT設定では正しく。、フロントタイヤは昭和40年前後のリボン幅であります。これこそ推定ですがオーナーは5.50-13-6PRのリボンタイヤの車を所有しこの車に買い換え、少なくとも1本は残していた物を付けたのでしょう。タイヤもフロントは著しく減って居ます。 私のクラウンを見たい場合連絡頂ければご自由に撮影しても構いませんが畑を一部他人に貸していますのでその方に事情を説明してください。元銀行員の方ですので、無断で撮影となると厄介です。 >羽前の国の旧車狂さん
見てくると見栄を張るも、見てこられませんでした。 数々の分析ありがとうございます。 モールは元から無い ラジオのOP追加は当たり前 という点に加え、 窓の標章が痕跡のみで引退時期が全く不明だった所に、タイヤを年代から履き替えたものと寿命をはかり推定して下さったりと、 見る人を変えるとゴロゴロと出てくるコロナの見所に感服しました。 次の甲府盆地探索では、明るいうちの到達を期したいです。 また、羽前の国の旧車狂さんの所有のクラウンも、いつの日か見に行ってみたいものです。 >カトラスさん 情報ありがとうございます。 実車での確認観察が不十分な上に、比較できる個体が無いのも痛い所で、青ガラスについても、次回訪問時に注意をして見てきたいと思います。 正確な情報ではありませんが、DXだと部分的に青ガラスが使用されていたような気が…
それと私見
この時代は上級志向が有る事を強く示した個体である事を証明していますが、私のクラウンGS130はこの位ボロボロになり、お二人の様なマニアが当家の葡萄園にいらしたら凄く頭を悩ませるでしょう。(笑) グリルがSTD用で、タイヤは3分山の6PRタイヤホイールキャップはロイヤルサルーン用でエアコンもロイヤルでもOPTのリヤコンが付きます。左フロントは塗装が剥げればタクシーカラーですのでより面白い。 シートも大分ネズミに齧られ肥料で汚れたので汚さ甚大。 そんな車ですがガラスが割れたらカミさんと処分する約束はしていますので残れるかな? 私の判定
コロナPT47Ⅴです。 決め手はドアモール穴が無い事。当時は未だボデーに穴を開けてモールを取り付けるが一般的でした。多分昭和時代一杯だと思います。 困難に拍車を掛けたのがのが事は左前輪下のホイールキャップ。デラックス用で初めはRT46としそうでしたが何度見ても穴が無いがPT47Ⅴをと見ました。 他にグリルがSTD用とあり当時はグレードダウンは殆ど考えられず、仮に事故でSTD用になったとしても左前輪のリボンタイヤが太目でこのタイヤは車体より古い可能性がありタイヤの寿命を考えて保って昭和53年あたり。廃車はその頃でしょう。 ラジオについては基本PT47でもOPTで取り付けは当たり前でした。概ね納車車輛の半分はラジオを当時付けたはず。 まぁオーナーは上級志向があったとは思います。当時はデラックスに準じた部品交換は多くモール取り付けも度々でした。写真ではステーだけが残って居ますがフォグランプも取り付けて居ます。より上級志向が有る事が伺えます。ややもするとデラックスホイールキャップで納車された可能性もあります。 |
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