![]() ![]() 日産自動車 ダットサンADバンデラックス 昭和57年~60年前期型(1300G・VB11/1500G・VHB11/1700D・VSB11) 長野県中野飯山地域にて 2012年4月撮影 昭和57年10月に登場したサニー/ダットサン/パルサーADバン。 バネットと同じように販売店によって冠名が付いていましたが、後期型で3車は統合されて冠名が無くなりADバンとなり、今日まで続くモデルになっています。 廃車となって物置になったのが昭和ではなく平成ヒト桁の頃であろう年式の車になると、草ヒロとなる数はグンと減ってしまい、初代サニーバンよりも見かける数は少ないくらいで、昨日の記事からの流れでサニーを出せればいいところですが、ダットサンしか手持ちがありませんのでご勘弁ください。 豪雪地帯の草ヒロなので、雪の重みで潰れた屋根の損傷からサビが出るなど、年式によらずベテランの風格がでてしまう苦労人で、それを労うようにサビの一部は車体と同色の塗料で補修がされています。 それでも、雪の負荷がかかる屋根の継ぎ目のサビは深く塗装くらいではリペアできず痛々しい姿になっています。 ![]() このダットサンADバンを撮影したのは2012年の春で、まもなく金沢まで延伸開業する長野から先の新幹線は、まだ軌道工事の真っ最中というころでした。 コメント:管理人 |
![]() ![]() 日産自動車 ダットサン・サニーバン4ドア1200デラックス 昭和55年~57年(VB311~VB312) 長野県上田地域にて 欲張ったドライブコースを考えたために、キャラバンから先はひたすら山麓を走る広域農道を目指して幹線道路を走り切りました。 ![]() ![]() 30分くらい走り放しで市街地を抜けて果樹園地帯に入ったところで、ようやく探索モードに切り替えると、廃果樹園に取り残されたライトバンを見つけました。 道路下に広がる元はぶどう園だった場所は、草木が生い茂っていて車窓からライトバンの姿はチラリとしか見えませんでしたが、車を降りて見渡すと全貌が見え、4代目サニーバンとわかりました。 サニーバンには、農薬によるサビが見られず、長いあいだ雨に打たれて下地が表れただけの「じっくり熟成系」で、まだまだお勤めができるコンディションでしたが、果樹園本体がリタイヤしてしまい荷物を積んだまま置いてけぼりです。 何年か前までは春の訪れとともに農作業に忙しく使われていたのが、今では傍らの木に咲く黄色い花や草が春の訪れを知らせてくれるだけで寂しくはありますが、春は訪れました。 セダンと同じく1200と1400の2エンジンをラインナップしたサニーバンは、ともにグリルから見分けることができ、このお顔は1200になります。 4代目のB310サニーは、ダットサンという冠とサニーバンがともに最後となったモデルになり、B11系へのフルモデルチェンジでニッサン・サニーとADバンとなり、カローラバンよりも随分と早く名前を変えましたが、ADバンには販売店ごとに冠が付いたので、サニーADバンと、サニーの名前は残りました。 コメント:管理人 |
![]() ![]() ![]() トヨタ自動車工業 ハイエースロングバン4ドアデラックス 昭和52年~55年(1600G・RH30V/1800G・RH31V/2200D・LH30V) 長野県安曇野にて 2014年5月再撮影 ウンザリするくらいに箱物が続いてしまい恐縮ではございますが、今日はハイエース、明日はキャラバンです。 何の変哲もない2代目ハイエースですが、幹線道路から良く見える素直なところや、道路に面して置かれているところ、観光ルートの定番でソースカツ丼をいただく前のチェックポイントでもあるため、馴染み深い草ヒロ個体です。 加えて、北アルプスを望むロケーションにあり、写真で見ているだけで旅情に誘われてしまいます。 鈴木B360より不定期に「田舎道を走らせろ」=(旅に行こう?行きたい?)というひと言メッセージが送られてくるので、何でもいいから車で出かけて行って、このハイエースに横付けして、それからソースカツ丼を頂いて温泉にでも入って帰ってこられれば、というか1泊できれば申し分なし!な感じで、日常生活のあか落としにもなること間違いないです。 コメント:管理人 このハイエースの紹介はこれで3回めになりました。 管理人単独行2008(4) 松本盆地縦走探索(49) |
![]() 地元の海沿いの整備工場脇の海っぺりポルシェと、 ![]() 線路っぱたのエルフ。 ゆるく散歩して、ゆるい2枚を収めてきたまでは良いのですが、スギ花粉にやられたのか頭が重たいので、明日の更新分としてこの記事を出しまして失礼します。 コメント:管理人 |
箱型物置車界の一大勢力を誇るライトエース。
初代バンと2代目バンとワゴンをGW研修旅行では捉えることができました。 ![]() ![]() トヨタ自動車工業 ライトエースバン5ドア標準ルーフデラックス 昭和48年追加(5ドア)~53年前期型(KM10V) 長野県安曇野にて 2014年5月撮影 田植えを終えたばかりの水田の水面に姿を映すライトエース。 畦にタイヤを埋めサビまみれの姿ですが、目立った欠品はない熟成個体でした。 サビにまみれて目立たなくなっていますが、フロントやサイドにベージュのラインが塗られていて、フォグランプを装備しているところも相まってバニングな現役時代が伺えます。 右側スライドドアだけが、板金か元のデキの違いからなのか、雨に長年打たれた屋根のように色濃くサビているのが妙でした。 ![]() ![]() トヨタ自動車工業 ライトエースバンジャストロー1300ハイルーフ5ドアスーパー 昭和54年~57年前期型(KM20V) 長野県安曇野にて 2014年5月撮影 続けて2代目です。 こちらは再撮影個体になります。 以前と同じように藁を積載した物置生活を送っていますが、5年を経てサビが進行しているようで、黄緑色がだいぶ侵食されました。 ![]() ![]() ![]() トヨタ自動車工業 ライトエースワゴン1800ハイルーフGXL 昭和57年MC~60年後期型(YM21G) 長野県佐久地域にて 2014年5月撮影 バンパーに貼られた交通安全のステッカーに無念さが滲む、苦悶の表情を浮かべたライトエースです。 左フロントに受けた傷は、軽トラや農耕機を少しぶつけたというレベルではなく、それ以外にも衝撃痕がいくつもあり、何がライトエースの身に起こったのかは想像できませんでした。 大きな傷を負ってはいますが、割れて果てたフロントガラスを鉄板で覆って風雨をしのげる状態にして、物置になっているのだろうというのは分かります。 写真に収めようか迷う姿でしたが、撮らずに行くのも忍びなく、まだ現役でいらっしゃるようなので、記録に残して置きました。 |
![]() ![]() ![]() 三菱自動車 三菱・ジープ(J20系) 長野県安曇野にて ジープ系のお車は、ブログ用フォルダにいつまでも残り続け、紹介するには強いキッカケでもないと中々手を出せません。 何が困るって、長きにわたって同じフォルムで親しまれたため、、鈴木B360と管理人の二人そろって年式に関してチンプンカンプンなところで、自動車ガイドブックとにらめっこしたところで何ともし難いと投げている所です。 安曇野の果樹園地帯で見つけたこのジープも、走破性能を発揮して畑の真ん中にちょこんと居て、まあ目の前に居るもの跨いで行くのは失礼と義理で撮ってきたもので、フロントの下半分が段々で隠れていたためリアをメインにと収めてきたので、リアの灯火類が妙にサッパリとしている!と気がつけるところが収穫なのですが、それを年式や型式に反映させるに足る知識の蓄積がありません。 ましてや、エンジンがガソリンなのかディーゼルなんかなんてものは、ステッカーが無いとお手上げなので、まだ張り具合もしっかりとしているキャンバスのサイドに空いている明かり部分の大きさから、ミドルサイズのJ20系でしょうか?くらいです。 ![]() 強いキッカケというのは、佐久地域の国道沿いに居たこちらのジープが撤去されたという鈴木B360からの話を、今になって思い出したからでした。 紹介記事:草ヒロ探検隊研修旅行より(2) コメント:管理人 |
![]() 2011年12月に見つけた廃屋に居るセドリック。 ![]() 本日は、それからちょうど3年後のお姿になります。 ![]() ![]() ![]() ![]() 日産自動車 ニッサン・セドリックカスタム6 昭和41年10月MC~42年モデル(H130V) 長野県伊那谷にて 傍らの木々が伐採された様子から、綺麗さっぱり整理されてしまうのではと、その後が危ぶまれたセドリック(と廃屋)でしたが、どのような結果になっていたとしても現状を確認しようと立ち寄ったところ、嬉しい事に変わりなく健在でした。 さらなる収穫として、以前と比べ周囲を鬱蒼と覆っていた熊笹の勢力が衰えていて、進路が開通していてセドリックへと行き着くことができした。 その結果、130前期と推定していたところが確定したのに加え、フロントとテールライトをしっかりと拝むことができ年式も確定し、さらにフェンダーにかろうじて残ったエンブレムから、初出し時に示した最上級グレードのスペシャルシックスからワングレード落ちたカスタムシックスだと訂正することもできました。 130セドリックは、グレードにより同じ2000ccでも4機のエンジンをラインナップし、その中でも直列6気筒エンジンモデルではグレード名の最後に『6』が入り、スペシャル6、カスタム6にL20(130登場に合わせた新開発OHCエンジン)、デラックス6、パーソナル6にJ20を搭載しています。 その他の2機は、4直エンジンモデルのスタンダードにH20、ディーゼルエンジンモデルにSD20というもので、4機とも同じ2000ccでも、豪快な加速が楽しめるものから、経済性に優れたものまで、それぞれのニーズに応えたエンジンラインナップでした。 (注)グレードと搭載エンジンは、昭和41年MCモデルのものになります。 ![]() セドリックの周囲を覆っていた熊笹の減勢に、小さなサブロクも隠されていた姿を現しました。 しかし、潰されはしないものの倒木によるものと見られるガラスなどの損傷が見られ、少し可哀想な感じになっていました。 コメント:管理人 ![]() 2月19日 拡大切り出し写真を追加 |
![]() ![]() 東洋工業 マツダ・ファミリア800バンデラックス 昭和38年~41年モデル(BSAVD) 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 コルト800バンから800繋がりで伊那谷の方へと参ります。 本当なら屋根の下に入りたかったのでしょうが頭の先を少しねじ込んだだけで無念な姿です。 さらに窓ガラスが割れていて、後ろ姿では事故をしたようにも見えてしまいます。 前後ともデラックスの証であるホワイトリボンタイヤを履いていますが前後で物が違うようで、新しく履き替えた後にもデラックスの雰囲気を損なわないよう気にかけられています。 ![]() 見たところバッチが脱落していたので800か1000かはヘッドライトを拝まねばならず、カメラを差し込んで見たところ丸いライトがこんにちはして800と確定です。 コメント:管理人 |
![]() 三菱重工業 三菱360バン 昭和42~43年式(LT23) 長野県にて 2015年1月撮影 サンバーとキャリイの郵便車のある坂の1本道で、管理人にとってはまさかのご新規さんです。 道中に点在する果樹園の様子に廃車体探索人たちのテンションは大いに上がり、市街地の隙間に探索の大きな可能性を見出していた途端に三菱360です。 まあ、道からは少し奥まったところに置いてあり、前を向いてしっかりと運転をしていた証と言い逃れができないわけでもなのですが、情けない話です。 フェンダーにあるエンブレムが筆記体のものではなくブロックなので、年式的には昭和42~43年になり、サイドモールがあるのでデラックスかスーパーデラックス(昭和43年追加)になりますが、ボンネットに雪がかぶさりスーパーデラックスの決め手になるラジオアンテナの有るかもわからない有り様です。 右後輪には新車時のものと思われるホワイトリボンタイヤが残っていました。 コメント:管理人 |
![]() サンバー550郵便車のお向かいにはスズライトキャリイの大先輩がいらっしゃいました。 今回も趣味人懇親会と春模様の長野よりの2回の訪問をあわせてご紹介します。 ![]() ![]() 赤い果実の実るところに、赤い車が2台も大集合。 赤い車の関係者なのか、置くなら赤い車と決めた果樹園主のこだわりの結果なのか、とにもかくにも郵便車資料館と言えよう素晴らしい並びです。 相互リンクをしていますmaipenLIFEの105さんよりご紹介いただいたときから、管理人に「これだけを見に長野へ行っても悔いない」と思わせてくれました。 初訪問を果たして現地に着けば、ご紹介いただいた直前にニアミスしていたという不始末っぷりが露見するも、自分だけでは縁が無かったものを結んでくれた事に感謝して撮影したのが2014年4月。 その後、2015年1月の趣味人懇親会において近所を通りかかったので訪問させてもらいました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 鈴木自動車工業 スズライト・キャリイバン(L20Vベース郵便車) 長野県にて 2014年4月と2015年1月撮影 こちらの果樹園の周囲には宅地化の波が及んでいて、果樹園地帯であったところに真新しい家が建ち並んでいました。 そのうちの1軒を眺めて「あの家からなら良いように(キャリイが)見える」という趣味人の言葉に、それは最高と思うのとともに、この果樹園がその真新しい家に取って代わってしまうのではという考えも同時に思い浮かびました。 宅地の中に歯抜けのように残された果樹園にこれだけのものがあるのですから、宅地化の波が及ぶ前の光景を妄想して勝手にため息をついてしまいそうです。 郵便車ではトラックに箱を被せて改造されたものを見たことがありますが、こちらのキャリイでは車体がサビたためにバン後部の窓ガラスを暗窓に改めた別物の鉄板が際立っていて、バンだとすぐに分かりました。 サイドマーカーがあるので、年式は昭和42年以降になります。 コメント:管理人 |
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