![]() 伊那谷の幸せの青い再塗装個体。 タイヤまで塗られたバネットの1台だけと勝手に思っていましたら、今回トヨタさんからも名乗りがありました。 ![]() ![]() 幸せの青いサニーバネット 長野県伊那谷にて 2011年6月撮影(上) 2014年12月撮影(下) まずは、バネットから。 再塗装から数年の歳月を経て劣化やサビがやや目立ち始めていますが、まだまだがんばれるご様子。 何台のバネットを見てきたか、その数が想像できないくらいで、写真を見ても思い出すのも難しい個体も多いですが、金属ではない部分まで塗られて真っ青な姿は忘れようがありません。 ![]() ![]() 幸せの青いタウンエース 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 上のバネットからそんなに遠くないところですが、数十分のあいだで2台目の青いバン。 当然ながらオーナーは完全に違うはずですが、使ったペンキの色から塗り方まで瓜二つで(タイヤまでは塗っていませんが・・・)、違うのは車のメーカーだけですが、車格は一緒という共通点の多い2台。 てんで違う場所と日に見たのではなく、現役時代には相対することもあったであろう近所とは、なかなか面白い2台です。 こちらのタウンエース、元色はグリーンなのが辛うじてのぞめました。 ![]() ![]() 2008年1月撮影(上) 2014年12月撮影(下) てっきり2014年に初めてお会いしたタウンエースだと思っていましたが、草ヒロ写真フォルダを漁ると、2008年1月に取り敢えず撮りました的な1枚を見つけました。 2008年の写真ではサビがサイドにビッシリと浮かんでいて痛々しい姿ですが、すでに青色に塗られているのが見て取れ、今の姿は少なくとも再々塗装であるのが分かり、もっともっとがんばれるご様子。 幸せの~と銘打ったのは伊達じゃない恵まれた個体です。 コメント:管理人 |
![]() ![]() ![]() 日産自動車 ダットサン・サニー1200 4ドアデラックス(B110) 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 懐かしのサニー、変わらぬ姿で残っていました。 顔あり、ホイールキャップありの探検隊大好き物件! 来た甲斐があります。 このような姿が今では少ないのが残念な世の中です。 コメント:鈴木B360 前回の訪問は、今からちょうど3年前でした。 用水路沿いのデリカとセットで夕暮れ後に見つたサニー。 デリカは撤去された痕跡を無残に晒していましたが、このサニーが残っていたことだけで随分と救われました。 最近では写真撮影を管理人任せになっていた鈴木B360をして写真撮影に赴かせた、「これを見るために伊那谷に来た」と朝から早くも感じさせてくれたサニーでした。 コメント:管理人 |
![]() ![]() ![]() いすゞ自動車 昭和50年~55年頃の北村ボディのいすゞバス 元所有:伊那バス ボディー:北村製作所 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 用水路沿いの細い道から草ヒロのために脇道にそれてもまた戻って走り続けます。 そして、いすゞBYからものの数分で、またも伊那バスの廃車体を用水路の向こうに見つけました。 途切れることを知らないかのような草ヒロの連鎖にテンションは上がりますが、見えるすぐ傍にいても用水路に阻まれていたりと簡単には行けず、ひと手間ふた手間かけて写真に収めていきました。 庭に置かれたバスの後ろは建物、前には様々な木々が植わり、木々の葉が落ちる今でなければ三枚目の庭木に囲まれたサイドビューしか拝めなかったかもしれません。 フロントのいすゞエンブレムから昭和50年頃からの個体で、以前見かけた伊那バスの個体と同じスタイルに見えます。 ![]() 2台のフロントガラスを見比べると、左側の今回の個体が4分割、右側の昭和56年式の個体が2分割という違いがあり、今回の個体の方が古いというのは確かですが、BUからCL/CJ/CP系へのFMCが昭和55年なため絞り込めませんでした。 日本のバス年代記(グランプリ出版)や昭和と走ったモノコックバス(三推社・講談社)といった書籍を見ましたが、北村ボディについての記述からも分からず、昭和50年~55年頃の北村ボディのいすゞバスという答えが管理人の限界です。 コメント:管理人 元伊那バスファンさまによると、昭和52年に導入されたBU04であるとのことです。 |
以前の伊那谷訪問で最終個体となったデリカが用水路沿いだった記憶から、まだ一途に用水路に沿って流しています。
残念ながら流していった先でデリカは撤去を確認したのですが、その近辺に行ってみようと動いていると、コンスタントに草ヒロ個体にアタリました。 ![]() ![]() 日産自動車 バネットラルゴバン4WD 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 用水路の向こう側にラルゴバンの姿を認めて停車し、寒さから積極的に撮影という感じにならないところでしたが、身を乗り出しているとより豪華なオマケを見つけました。 「バネットはスルー!」と景気良く飛ばしていたなら、アングルからオマケにまで目が行かなかったかもしれないので、縁起物としては上々なラルゴでした。 ![]() ![]() ![]() 鈴木自動車工業 アルト(SS30V/SS40V)写真右側 富士重工業 R-2(K12)写真左側 オマケの方が豪華で、おまけに働きものです。 ラルゴバンが車内に草を絡ませて向かい側の窓まで見える空き具合だったのに対して、アルトとR-2は車内に満載だけに留まらず屋根にボンネットにタイヤハウスにとフル活用されています。 定番の水入れバスタブが鎮座してR-2は顔を隠し、アルトはそれよりも小さな水入れに被さるようにいて、水場に憩う鳥の姿が思い浮かびました。 アルト、R-2ともに前期型になり、昨日のサンバーからミニキャブのように、同じく乗り継いだものであると思われます。 コメント:管理人 |
![]() 前夜の伊那谷への道中では諏訪付近で吹雪に見舞われ、旅がどう転ぶかと危ぶんだものですが、ホテルでじっくりと寝て空が白やんできたころに客室から外を眺めてみれば、伊那谷は寒いながら穏やかな朝を迎えていました。 朝風呂を浴びて食堂へ行くのにホールでエレベーターを待っているあいだ戯れに非常ドアの窓の隙間から「草ヒロやぁ~い」と探してみれば、先に覗いた管理人は認識できませんでしたが、後から覗いた鈴木B360がゴールドの箱を見つけ、ホテルを出てからの進む方向を早くも決めてくれちゃいました。 ![]() ![]() ゴールドの箱の正体は、独特なその姿から予想した通りのK87サンバーでした。 サンバーしか見えませんでしたが、お隣にはもう1台青いクーペも居ました。 ちなみにサンバーの後ろ姿の右側に写り込んでいるのが泊まっていたホテルです。 ![]() ![]() 富士重工業 サンバー4WDライトバンサンルーフ(J-K88) 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 こりゃぁ朝から縁起が良いねぇ~♪と鼻歌がでるようなレア個体ではありませんが、素直に良いねぇと言える良い表情をした個体でスタートを切りました。 あくまでも探検隊の主観ですがこの代のサンバー、他の歴代モデルとは異なりコレといった愛称がなく、マルチフラットに始まりハイルーフに4WDと拡がりをみせていてバラエティに富んでいるモデルですが、その中でもイメージが強い「マルチフラット」では可愛げがないので(これも主観でバッサリ!)、トラック、バン、2WD、4WDも関係なくひっくるめて、2WDバンの型式K87にちなんで「けー はち なな」と呼んでいたりします。 ![]() ![]() 本田技研工業 ホンダ145クーペGL(CD) 長野県伊那谷にて 2014年12月撮影 サンバーのお隣りの青いクーペは、春の羽前の国に引き続き顔が完全体ではないのが惜しい姿の145クーペでした。 ライトにグリルやバンパーとパーツが抜け、カバーははだけたような感じがするため、保管車かな?という現状です。 茂木クラスの良個体と分かっていはいますが、探検隊のふたりにとっては、名前がないので馴染みが薄いのです。 タイトル・コメント補助:鈴木B360 コメント:管理人 |
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![]() 法事で海の向こう側の千葉へちょいと出かけてきただけですが、週末の車の波に完全に飲まれてグロッキーです。 良い天気に海底トンネルなど各所で渋滞に巻き込まれ、写真のような田舎道へ繰り出したい気分になりました。 昨日と一昨日も更新しなかったので、取り繕うべく写真付きの記事を投下しまして、寝床へと退散させていただきます。 コメント:管理人 |
![]() クラウンバンのお向かいさんにもう1台・・・。 おまけ程度の個体ではなく、こちらも主役級で、博物館で通路を挟んでしか見られないような豪華過ぎる2台の姿がありました。 ![]() ![]() 日産自動車 ニッサン・スカイラインバン1800デラックス(VPC10M) 長野県上田地域にて 2014年4月撮影 フロントグリルは無くなってしまっても、テールゲートの右側でささやかに、そして誇らしげな1800のバッチ。 スカイラインのスポーティーモデルの魂は、バンモデルにもしっかりとあらわれ、バンなら下位エンジンだけで十分とバッサリではなく、1500と1800のふたつの排気量がラインナップしていました。 セダンのベースモデルよりもスペックで優れ、さらに価格も高いというモデルがライトバンでは嫉妬しそうですが、貨客両用の車にもより良い車が求められた時代ならではのモデルです。 ![]() ![]() 結びに唐突に並べたフィルム写真からスキャンした1枚と、今回の訪問の1枚。 フィルムの写真をブログで紹介するのは2度目になりますが、見比べると共にある電柱に赤ペンキで書きなぐられた一九番組という文字から同一個体だとわかるところです。 フィルムの方は撮影を1998年春頃という古さで、鈴木B360が親父さんと道を間違えて潜り込んで偶然撮影してきたものでした。 今では枚数など気にせず撮れるうえに撮り直しもできますが、フィルム時代では1発勝負でフィルムの数の限りもあってリアを撮ることができず後に悔いることになりましたが、その1998年に置いてきたものを2014年に回収できたことは、撤去されずに残っていた嬉しさも手伝って感慨深いものがあります。 後日、鈴木B360に嬉しい報告ついでに「(1998年当時は)クラウンバンには気が付かなかったの?」と問いかけてみましたが、『知らない』と返されて逆に『近くにB360は居なかった?』と返されるも、「イナカッタヨ!」という具合で撤去をされてしまったものもありました。 コメント:管理人 |
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