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春模様の長野より(2)
トヨペット・コロナバン

先日の旅の2日目のご報告で出しました2Rエンジンの搭載車は・・・

トヨペット・コロナバン

コロナバンでした!

トヨペット・コロナバン
トヨペット・コロナバン
トヨペット・コロナバン

トヨタ自動車工業
トヨペット・コロナバンデラックス4ドア(RT46V-FD)

長野県長野地域にて
2014年4月撮影

昭和41年MC顔のコロナバンに夕暮れ迫る山里で出会いました。
情報提供を頂いた草ヒロ巡り(取材)に区切りが付き、
自分の感覚で走り回っていると丘の上にコロナバンの後ろ姿が見え、
手近の道を進んでいってみれば、おあつらえ向きに道路沿いにデンと鎮座なさっていました。
探検隊でこの代のコロナバンと言えば、2枚ドアモデルが多くを占めていて、
この4枚ドアというのは珍しい部類になり、良い物を見つけたとご満悦で前に回ると、
ガラスは粉々でボンネットフードはどこかへ消え去りエンジン剥き出しという姿で、
静かな佇まいの後ろ姿とのギャップがありましたが、
フロント部分以外は、ホイールキャップが四輪セットで残っていて、
しかも美品ときたもので、ホイールキャップマニアの鈴木B360も喜んだ1台です。

トヨペット・コロナバン

ご報告でお気に入りと書いた理由は、
このロケーションの良さにあります。
こんな開放感のあるところで景色を眺めながら草ヒロまで見られれば、
夕暮れまで動いた疲労感も手伝いトロ~ンと身体の緊張感がほぐれてリラックスでき、
アルファ波がドバドバと?出ていることでしょう。

コメント:管理人
【2014/04/30 23:19】 | ライトバン | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(14)

14042902.jpg

北側より順に見てまいりまして、南端の絶壁に到着です。
奥列にあった何台かはルーフしか見えず割愛し、
さらに道路側に平成車などの小集団もありますがこれも割愛して、
石切り場跡の置き場レポ最終回です。
この並びだけゆとりの配置となっていて、嬉しい事に3台揃って頭を向けています。

14042903.jpg

日産自動車
ダットサン・ブルーバードクーペ


510ブルーバードには当初2ドアセダンはラインナップしていましたが、
コロナHTのようなモデルではなく、あくまでも4ドアセダンとドア数が違うというだけのモデルでした。
登場翌年の昭和43年11月に追加された2ドアクーペは、
センターピラーが付き前半分こそ2ドアとさして変わらぬフォルムでしたが、
ドア後ろからテールへとの傾斜角が浅くなり流れるようなラインを演出しています。
こちらの個体は、リアがまったくのぞめませんでしたが、
横並び3つのランプが内側から外側に順に点灯するハミングランプを装備していることでしょう。

14042904.jpg

トヨタ自動車工業
トヨペット・クラウンハードトップ スーパーデラックス/SL(MS51)


3代目クラウンで初めてラインナップした2ドアハードトップ。
個人オーナーへクラウンの売り込む白いクラウンのキャンペーンに続き、
法人や官公庁が絶対に使わないであろう2ドアハードトップモデルを追加したのは、
3代目クラウン登場翌年の昭和43年11月のことでした。
こちらの個体は、セダンに合わせて行われた昭和44年9月MCからの後期型になります。
遠目で見た時には、一番しっかりしていそうな気がしましたが、
望遠レンズで覗いてみれば屋根に穴が開いていて、
窺い知ることのできない車内は恐ろしい事になっていそうです。
ちなみに、このクラウンの車体色は売れに売れた白ではなく、
樹脂のまみれてどす黒くなっている中、所々にサビと見分けは付きませんが赤が見え、
オーナーは、CMを務めた山村聰のような年齢層ではなく、若い人だったのかもしれません。

14042905.jpg
14042906.jpg

日産自動車
ニッサン・グロリア


プリンスと日産合併後の昭和42年4月に登場したタテグロこと3代目グロリア。
プリンスの冠こそ外されましたが、開発はプリンス時代から続いていたもので、
日産色にだいぶ染まっての出ですが、上級グレードにはプリンス・グロリアからの
6気筒G7エンジンを搭載するモデルがありました。
(ベースグレード車には、登場から日産の4気筒H20エンジンが搭載されています)
プリンスのエンジンは、43年10月MCでは残りましたが、
44年11月MCで遂にセドリック譲りのL20エンジンに変えられてしまいます。

こちらの個体は、43年10月MCモデルでグレードは不明ですが、
少なくともスタンダードでは無いと思われるので、G7エンジンを搭載していることでしょう。
そんなエンジンを擁するボンネット周りは、苔が良い味わいになっています。

14042907.jpg

この置き場がいつからあるのか気になり、国土地理院の航空写真閲覧で調べてみると、
昭和50年撮影では車列の手前の空き地となっている所に建造物がありましたが、
それが昭和59年撮影になると建造物の姿は無くなっており、その間に動きがあったと思われます。
【2014/04/29 23:54】 | 複数車種 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
奥の細道を行く(13)


連続して出してナンボというこの記事を出すのに、
管理人の長野行きやらで間がだいぶ開いてしまいましたが、
今日と明日の記事で石切り場跡の置き場は完結させます。

ベレット

いすゞ自動車
ベレット1600GT(PR90)


こちらのベレットは身をよじったように変形をしていて、どこが正しい位置なのかわからないくらいです。
少し前までは、トランク部分は原形を保っていたそうですが、逆への字にひしゃげて不機嫌そうです。
こぶりなテールから初期のベレットGTであり、この置き場のクルマたちのバッチが尽く落ちている中で、
1600GTを掲げている誇り高き1台です。
ひしゃげてはいますが・・・。

クーペ9

本田技研工業
HONDA1300クーペ9


フロントから見れば他にないマスクで間違えようのないクーペ9ですが、
管理人はサニークーペだろうか?などとファインダーを覗いていました。
写真をじっくりとみれば、こんな状態ながらもCoupe9のバッチが残っています。

カペラ

東洋工業
カペラ1800 4ドアセダン 


昭和53年10月に登場の3代目カペラ。
登場時は、4ドアセダンと2ドアハッチバックに、1600と1800ccのエンジンをラインナップし、
54年3月に2000ccを追加、55年9月に後期型へとMCをされます。
と、型にはまった説明以上に、国際車カペラと謳っていた1台ですが、
どこかで見たという記憶が無い車でして、日本車検索大図鑑で写真を見ても、
初代や2代目の造形に比べて直線的過ぎるフォルムで、
「なんだかファミリアのお兄さんのよう」とまんまな言葉しか出てきません。

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スカイライン

日産自動車
ニッサン・スカイラインハードトップ


上に載っているのがサブロクの小さな軽自動車といえども、
重さにすれば500キロ近くはあるので、ハコスカは苦しげに尻もちを付いています。
よりによってスタイリッシュなハードトップなもので、Bピラーが無い上に窓は全開状態であり、
上からの力には特に耐久性がないスタイルなのに頑張っています。
加えて雪が降るところであるので、どうしてもっているのか不思議に思います。

フロンテ

鈴木自動車工業
フロンテGL-W


スカイラインの上に載せられたフロンテ。
どう落ち着かせるか考えた上でタイヤを噛ませるまでして積んだようですが、かえって不安定に見えます。
フロンテには地面に置かれていた頃にエンジンルームを突き破ったであろう木が残り、
積んだ時点でボディは相当やられていたと思うのですが、よく積んだものです。
フロアにサビが色濃く出ていて、リアのエンジンがスカイラインのトランクに落ちるのではとヒヤヒヤです。

お顔が見えませんので、毎年行われたフェイスリフトのどこのモデルかは分かりませんが、
リアに残った青いWのエンブレムから、昭和46年5月発売以降の水冷エンジン搭載車になります。

ギャラン

三菱自動車工業
ギャランΣ


ギャランとしては3代目でΣのサブネームが付いたモデルで、テールから前期型です。
リアウィンドウに貼られたMCA~Mitsubishi Clean Airのデカールから、
昭和53年排ガス規制適合をした昭和52年6月と8月から、53年11月に後期型となるまでのモデルです。

コメント:管理人
参考資料:日本車検索大図鑑各巻と自動車ガイドブック各号
【2014/04/28 22:45】 | 複数車種 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
春模様の長野より(1)~取材
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プリンス・マイラー

お休みですが、記事がまとまりました。の記事でお出ししたサビ色のボンネット。
いつもお世話になっております当ブログリスナーの草疲労さんが見つけられた個体でして、
草疲労さんの2泊3日の長野探索報告で寄せて頂いた情報を元に取材へと行ってまいりました。
続きを読む
【2014/04/28 00:55】 | トラック | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
管理人は旅より無事に帰ってきました。


3日目は午前7時半にホテルをチェックアウトして、
いきなり高速道路に乗り新幹線で隣駅のエリアへ直行しました。
降りたった地では『ひと沢で1台』をかけ声にちまちまと探索を行い、
正午には切り上げてお蕎麦を食べに向かいましたが、
不定休のお店が今日に限ってお休みという不幸に見舞われ、
今回の旅のひとつの目標であるお蕎麦にはありつけませんでした。
午後は草ヒロをほどほどにして巡り、最後に1日目に訪れた温泉にまた入り、
疲れを癒やして新幹線で帰路につきました。

10型

3日間で軽のレンタカーを走らせること500キロ。
シーズン締めくくりの探索はご新規さんにも恵まれ無事に終了することができました。
写真は遠くから疑ってみたら見事に車だったニッサンな緑の塊です。

コメント:管理人

明日の更新については、予告したとおりお休みいたします。
ネタはたくさん仕入れてきましたが、明日の仕事に備えるためこしらえる時間がありません。
【2014/04/25 22:02】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
草ヒロをこじらせました。


旅の2日目は、午前5時半より行動を開始して、
お昼ごはんを食べたらゆっくりと温泉にでも行こうと考えていましたが、
草ヒロをこじらせてしまい、温泉にとどまらずお昼ごはんまですっぽかして走り回っていました。
とは言っても、拾えるスポットは積極的に立ち寄ったので草ヒロ一色ではなく、
市の文化財に指定されている明治初期に植えられたお寺の枝垂れ桜を心ゆくまで堪能しました。

14042402.jpg

草ヒロは、情報提供を頂いた個体めぐりの取材と共に
探検隊で今までに訪れたことのある地域を中心に再々…訪問をしたところ、
各所で見つけられていなかった個体たちと出会うことが出来ました。
日が傾きつつある夕暮れ時の、写真の2Rエンジン搭載車がお気に入りです。

明日こそは、お蕎麦と温泉を愉しむ余裕を持とうと強く決意し、
旅2日目の報告を終わりにいたします。

コメント:管理人
【2014/04/24 21:35】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
お休みですが、記事がまとまりました。


管理人は現在写真で示しました地域の駅前ホテルに落ち着いています。
草ヒロと温泉とお蕎麦と地酒で晩酌という4つの目標を掲げた旅の、
現在の達成状況をお知らせいたします。

プリンス・グロリア

~温泉~

唐突に出しましたプリンス・グロリアの居るヤードのお向かいにある温泉施設に行きました。

目印の看板から川の方へと降りて行くと1軒の温泉があり、
車から降りるやいなや硫黄の匂いが出迎えてくれます。
湯船は4人が入れば満員な内風呂があるだけでしたが、
窓からは満開の桜が眺めることができる、実に風流な温泉でした。
源泉温度が低いため加温されているものの、加水や循環や消毒剤の使用はありません。
少しぬるめの湯でしたが、そんなに長く浸からずとも身体がポカポカと温まりました。

~お蕎麦~

お蕎麦にはまだありつけていません。

~日本酒~

草ヒロ巡り中に、十九、豊賀、明鏡止水、翠露など、
管理人好みの地酒を扱うお店を見つけたので立ち寄り、
久しく飲んでいない、飯山の北光正宗か大町の北安大国かで迷いましたが、
後者の四合瓶を買い求めちびちびとやっています。

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~草ヒロ~

お出かけの直前に寄せられた情報を元に、言葉を失うような1台の取材に行ってきました。
話を聞いた時に「まさか~!」と思い、姿を見た瞬間に「そんなバカな!」と腹ン中で叫びました。
写真を撮って眺めていても白昼夢のような感覚でございました。
詳報は後日改めてご覧にいれます。

コメント:管理人
【2014/04/23 21:06】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
猫出動。
お休みします

明日22日は泊まり仕事に出て、23日の明けはすぐにお出かけに出発をして、
2泊3日の日程で草ヒロと温泉とお蕎麦と地酒で晩酌を目的とした旅にでかけます。
連載が盛り上がりどころとなっていますが、
旅支度に入り記事作成を行う時間がないので
毎度となって申し訳ありませんがブログ更新をお休みいたします。
25日には帰ってくるのですが、26日の泊まり仕事に備えすぐに寝てしまうので、
27日に記事を作成して更新を行うまで、少し長めのお休みを頂きます。

次回の更新は4月27日を予定しております。

草ヒロ探検隊管理人
【2014/04/21 20:58】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(12)
コロナ クリッパー クラウン

豪華なスリーショット。
これらの年式の車が解体屋に続々と入っていた時代には普通の風景ですが、
それが21世紀に残っているのですから、改めて凄いところだと感じます。

コロナ

トヨタ自動車工業
トヨペット・コロナデラックス(RT40-D)


まずは、昭和42年MCの3代目コロナさんです。
居並ぶ面々は緩衝材のミラ・パルコを境にしてサビ具合が急にひどくなっていて、
コロナはフロント周りこそキリっとした表情をしているものの、
ルーフ以外はサビにまみれて穴が開き放題のありさまで、
左フロントドアは外板が首の皮一枚でつながっているような具合です。

クラウンvsコロナマーク2

トヨタ自動車工業
クラウンスタンダード(RS50)
【上】
トヨタ自動車工業
コロナマークII
【下】

石切り場の跡地を利用してできた置き場なので敷地は広く、
手間をかけてまで車の上に車を積む必要はないはずなのですが、なーぜか積まれてしまっています。
で、コロナマークIIにクラウンなんか載せちゃったもんだから下にされた方は苦しげで、
上のクラウンは身を乗り出してその表情を見ようとしている格闘技選手のように見え、
加えて、クラウンから流れ出る毒液攻撃(単に長年にわたって水が滴り落ちただけですが)で
コロナマークIIのボンネットフードは穴が開くほどのダメージを受けてしまっています。

クラウンは昭和44年MCの3代目後期型で、珍しいスタンダード。
そしてコロナマークIIは昭和46年MCの初代後期型と見られます。

ニッサン・クリッパー

日産自動車
ニッサン・クリッパー


トヨタ勢に囲まれていたのはニッサンのクリッパーです。
プリンス時代からのスタイルを受け継いでいるモデルですが、
こちらはニッサンでも末期のスイッチのようなバッチとサイドマーカーが付いたものです。
破れたフロントガラスをシートで覆っていたようですが剥がれてしまい用を成しませんが、
シートの重しに置いたであろうタイヤはジワリジワリと脳天唐竹割りをかけ続けています。

コメント:管理人
【2014/04/21 19:29】 | 複数車種 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
奥の細道を行く(11)
ルーチェ~E2500~チェリー
ルーチェ~E2500~チェリー

入り口の柵で足踏みをしましたが、置き場の面々を手前からブロックごとに紹介していきましょう。

ルーチェ

東洋工業
マツダ・ルーチェ


まずは3台並びの手前から初代ルーチェ。
ヘッドレストが見えるので、安全対策の仕様変更のあった昭和43年以降のモデルのようです。
車名や排気量のバッチは外されて穴埋めがされているうえ、
フェンダーミラーはロータリークーペのような砲弾型ミラーに変えられていて、
オーナーはこの車に入れ込んでいたことが伺えます。
バッチがないのでボンネットフードの形状で1800ccか1500ccを見分けたいところですが、
タイヤの重しと草の下にその姿は無いようで、黒いカバーで雨風をしのいでいました。

E2500

東洋工業
マツダ・E2500ディーゼル平床三方開車(EXA12S)


荷台にルーチェと比べたら随分と可愛らしいセダンを背負っていたのは、
イギリスのパーキンス社と共同開発したXA型2522ccディーゼルエンジンを搭載して、
昭和42年1月に発売をされたE2500でした。
パルコな事情により真横からのアングル写真のみなので、
前期か後期かひと目で分かる印象的なフロントグリルは見えませんが、
ドアのエンブレム下にサイドマーカーがありますのは昭和43年以降の後期型になります。
ドアの下部分が口裂け女のようにサビた口を開けていて痛々しい姿ながら、
荷台に自動車1台載っけて頑張っています。

チェリー

日産自動車
ニッサン・チェリー4ドアGL(E10HT)


E2500に載っかっていたのは、日産初のFF車として昭和45年に登場したチェリーでした。
チェリーといえば独特なスタイルのクーペが思いつくところですが、
2ドア・4ドアセダンとライトバンをラインナップするニギヤカな所帯です。
FF車にしたことによるメリットを声高に宣伝した意欲作で、
『2000cc車に匹敵する不敵な車格』と自動車ガイドブックで謳う自信を見せましたが、
現役・廃車合わせても今日に頻繁に見ることのできるモデルとはお世辞にも言いがたく、
久しぶりに見たなぁ~と感じてしまった1台です。
フロント部分は痛々しく表情は伺えませんが、テールライトから前期型と分かりました。

ミラ・パルコ

E2500のフロントには、文中でパルコな事情と書きましたミラ・パルコが、
コレだけ別物!展示列の緩衝材かのように置かれていました。
昭和40年代の個体が居並ぶ中で、ひとり異彩を放つ昭和60年代車でした。

コメント:管理人
【2014/04/20 21:25】 | 複数車種 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(10)
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取材2日目は、移動中にバーハンドルミゼットを拾いましたが、
今回の羽前の国訪問のハイライトの場所へと直行をいたしました。


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中に居並ぶ面々の紹介する前に、置き場の門番から紹介をいたします。
今は、丸太と協力をして置き場で入り口の柵になっている物は、
何かの車のなれの果てであるのは確かなのですが、
上下が逆さまになった状態で置かれているのだろうというのと、
青系のカラーだということと、丸目の2灯なんだろうという以外は、
骨過ぎてよくわかりませんが、置き場の面々の濃さからして、
それなりのお方であろうとは推察されます。

コメント:管理人
【2014/04/19 07:00】 | その他の車 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
奥の細道を行く(9)
バーハンミゼット
バーハンミゼット

ダイハツ工業
ダイハツ・ミゼット

羽前の国にて
2014年4月撮影

ガラス張りの小屋に収まるバーハンドルのミゼット。
観光果樹園の直売所であったのか、国道に向いて建っているもので、
見た瞬間に「自動車のショールームみたいだ。」と思ってしまう展示状態に、
何度も購入の話が持ち込まれたとのことですが、オーナーは全てをお断りしたといいます。
羽前の国の旧車狂さんによると昭和35年式であるとことですので、
キック式のDKA型にドアとセルモーターが追加された改良のDK2型と思われます。

140418002.jpg

しかし、『木村信之作品集6・ミゼット物語』によれば、
ライト上のエンブレムはDKA型が装着していたデザインのものとあったり、
ライト下にエアグリルが無いというDKA型の特徴があるのですが、
DKA型にはドア付きモデルは無いときたもんです。

バーハンドルの見分けとしては、
DKA型がキック式起動のみで、荷台右側面給油口に切り欠きが無い。
DK2型がキック式に加え、ハンドルにセルボタンが付き、荷台右側面給油口に切り欠きが有る。
DSA型がキック式でなくなり、荷台右側面給油口に切り欠きが有る。

という違いがあるので、運転席や荷台右側面が確認できれば良いのですが、
こちらの個体は、それができませんでした。

コメント:管理人
参考資料:木村信之作品集6 ミゼット物語
【2014/04/18 18:41】 | 三輪 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(8)
ライトエース

写真には明るく写ってしまっていますが、太陽が山の向こうに落ちて随分と暗くなっています。

草ヒロを隠すありとあらゆる障害物に覆われたとある物置個体の右側の様子。
フロントを向いた姿であるのですが、こうなる後ろだろうと前だろうと、どっちでもいい状態です。
羽前の国の旧車狂さんより「見えてきた。」と言われましても、一瞬では何であるのか分からず、
障害物の隙間から覗く可愛らしいバンビの姿に気がついて、やっとのことで車なのかな?と認識をできました。

ライトエース

トヨタ自動車工業
ライトエースワゴン(KM10G)

羽前の国にて
2014年4月撮影

個体の左側に出ますと、ライトエースの前期型と分かるヘッドライトパネルがご丁寧に見え、
バンビの他にもリスがペイントされている幼児送迎車であったというのがわかりました。
同時に水が溜まる部分がサビに侵されいるのが見え、厳重なカバーも納得のコンディションでした。

こちらのライトエースは、羽前の国の旧車狂さんに縁のあるもので、
保育園職員であったお母様が送迎のために乗り込んでいたというエピソードがあります。
園児の保護者有志によって購入されて運転されていたという異色の経歴を持ち、
購入した世代が保育園を去った昭和56年に廃車となり、この場所に置かれました。

コメント:管理人
【2014/04/17 21:18】 | コーチ・ワゴン・1BOX | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(7)
オバQ
オバQ

羽前の国にて
2014年4月撮影

時刻は午後6時を回り、もうお開きという暗さになりましたが、
あと1台・・・もう1台と意欲的に周りまして大きな1台です。
まさか大型がハマり込んでいるとは思いもしない周辺の道幅と、
民家の民家の間にスッポリと収まっていて「マジですか!」な1台です。
さらに、こちらのバスさんは物置としての当然の配慮から大きなフロントウインドウをすだれで覆い、
どんなお顔をしているのか全く伺うことができない状態になっていました。
藁にもすがる思いでGoogle大先生の助力を得ましたが、
波板バリケードでひさし部分すら伺えない、もっと酷い状態で写されていました。
とは、言っても、案内人の羽前の国の旧車さんより「オバQ 」だという答えを得ていたので、
自前のオバQ写真と比較をしてみて納得はしたものの、
肝心要の部分がヴェールに包まれていますので、今後の変化に期待!と投げて結びます。
ちなみに、一点だけ「オバQバンパー」と呼ばれるカスタムのネタにもされるバンパーが、
ライト穴は開いているのですがプレスラインがさっぱりとしていて、別物なのかしら?と感じました。
穴の中のライトが無いなど、廃車の前後に部品のトレードがあったのかもしれません。

コメント:管理人

14041600.jpg

4月18日追記
廃札主任さんより、山形交通のバスにはペットネームが与えられているとコメントを頂きましたので、
そのプレートがある部分を拡大切り出しした写真を追加いたしました。
「ざおう」という文字が朧気ながら読み取れます。
【2014/04/16 07:00】 | バス | トラックバック(0) | コメント(7) | page top↑
奥の細道を行く(6)
ファミリアトラック

こちらのトラック個体の左側は、フェンダーは無いわ、ドアは皮がごっそりと無いやで、
「あんた誰?」と突っ込みたくなるくらいサビと内部構造しか見えません。

ファミリアトラック

そんな崩壊が進んだ左側に健気にマツダマークのホイールキャップが残り、
それを見るまでもなく三角窓が無いところと四角いヘッドライト枠でネタバレしていますが、
こちらのお方は、ファミリアトラックさんです。

ファミリアトラック
ファミリアトラック

東洋工業
マツダ・ファミリア1300トラック標準ボディ(FA2T55)

羽前の国にて
2014年4月撮影

2代目ファミリアのトラックモデルは昭和43年に登場をして、
乗用車モデルが4代目までFMCをした昭和54年まで自動車ガイドブックに掲載がありました。
もちろんその間にMCが行われて、前期・中期(昭和48年~)・後期(昭和49年~)とに分けられ、
エンジンは1000ccから1200ccの追加(昭和44年)を経て最終的には後期型で1300ccとなりました。

こちらの個体は後期型で、農薬によるサビで派手にやられて、
荷台はクタクタですが、頑丈さを売りにしたクラス唯一のフレーム構造で荷台は分離式なので、
モノコック構造のサニトラやパブリカトラックの荷台部分がサビで崩壊してしまうのとは違い、
荷台の箱を持ってきて交換すればいい事なので簡単ではあります。
ライバルと比べて地味なモデルではありますが、
商用車としての強みがファミリアトラックにはあります。

コメント:管理人
【2014/04/15 19:10】 | トラック | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
奥の細道を行く(5)
ババーンサンバー
ババーンサンバー
ババーンサンバー

富士重工業
スバル・サンバーライトバン3ドア360スーパーデラックス(K64)

羽前の国にて
2014年4月撮影

2代目サンバーがあるというので案内をして頂くと、
農道の傍らに木々に包囲されて困り顔のババーンサンバーさんの姿がありました。
冬景色の中でお会いしたので分かりましたが、
包囲している木々が青々とした葉に覆われたら、果たして見えるかどうか分かりません。
フロントガラスに残る検査標章(昭和53年10月車検切れ)に目をやれば、

ババーンサンバー

ガラスがしっかりとはまっているのが信じられないくらいに、
ミシン目のサビのキリトリ線が屋根の周囲をグルリと這っていて、
ところどころに穴が開いているも、絶妙のバランスで崩壊手前で踏みとどまっており、
この姿でよくぞ雪国の冬を越したものだと感心してしまいました。
ドア周りのサビ具合から一度開けたらしっかりと閉めるのは難しいと見え、
もう何年も人の手が入らずにいたために、形を保てたものだと思われます。

コメント:管理人
【2014/04/14 18:59】 | 360 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
散歩のあいまに
FFコロナ
FFコロナ

トヨタ自動車
FFコロナ4ドアセダン

神奈川県M半島にて
2014年4月13日撮影

狙ったわけではないのですが、ブログで7代目コロナを予定していた日に、
近所にある8代目のFFコロナの後期型の前を通りかかりました。
数年前に「オヤッ?」という具合に家と家の隙間で目が合い、
ナンバーが無いのは確認しつつも綺麗そうな状態なもので、
写真を撮ろうなどとは思いもせずに放っておいたのですが、
「そういえば、今日はコロナ出す日だった」と気が付き、
何かのネタになれば幸いとカメラを出して撮ってみたところです。

写真を撮って確認をしてみれば、平成16年12月車検切れとなっていて、
玄関先での門番を10年近くもやっているベテランで、
車内にはシートにレースカバーが掛けられていて、
少し年がいったオーナーのど定番なセダンの姿でした。
しかし、古い車を潰すと優遇される制度がトドメになったのか、
こういったセダンというのはここ最近急に見かけなくなり、
どんな車に乗り換えたのだろうと思えばコンパクトカーか軽自動車であり、
このコロナのような姿は遠くになってしまいました。

コメント:管理人
【2014/04/13 23:47】 | セダン | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
奥の細道を行く(4)
コロナ
コロナ
コロナ
コロナ

トヨタ自動車
コロナ4ドアセダン

羽前の国にて
2014年4月撮影

FR最後のコロナとなった7代目の前期型が、草ヒロが多く存在する地域に居ました。
取材時間の都合からハチマルやキュウマルの箱たちはスルーを決め込んでいましたが、
いい佇まいの草ヒロハチマルセダンを落としては、その方面が大好物の鈴木B360に申し訳ないと、
リクエストをして車を止めてもらい撮影をしました。
日暮れの暗闇が刻々と迫り、1分1秒たりともムダにはできないので駆け足で数枚を頂き、
すぐ近くにあった初代タウンエースワゴンはざっくりと1枚を撮ったのみで、
そそくさと次の個体へと移動をしました。
なので写真で見直して初めて、改造車ではないドアミラー車だと気が付き、
昭和58年式の10月に後期型へとMCをする直前の個体であることがわかり、
さらにリアボード周りには、角くて大きなパイオニアのスピーカー(TS-X10)が並び、
今では堅実な物置車に落ち着いてはいますが、現役当時は相当イケイケのが伺えます。

コロナ

ホイールは四輪とも抜かれて、できた半円のスペースもムダにせずバケツや長靴が収まっていて、
この個体は、カラードバンパーから高グレードのようで、アルミを再活用したたかもしれません。
と、推測で結んだように、管理人では決め手に欠いて、グレードの絞り込みはできませんでした。

コメント:管理人

【2014/04/13 22:19】 | セダン | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
横須賀港4月11日
草ヒロの記事と、今日の横須賀港の賑わいの記事。
どちらかひとつしか書く時間が無く、今日のものは今日と開き直り選びましたので、
明日に出すべき草ヒロの記事は無く、明日の更新はありません。
大事なことなので、最初にお断りいたしました!!

しらせ

南極観測から帰国をした南極観測船しらせが、
昨日夕方に横須賀港へと移動をしてきたので、
昼食後の散歩がてらに横須賀へと出かけて行きました。
南極での航海の途中に座礁して船底を損傷してその後が心配されていましたが、
約半年ぶりに自衛艦一カラフルな船が横須賀へと帰ってきました。

ときわ

しらせの写真を山から撮影をしていると、補給艦ときわがタグボードに先導されて入港してきて、
港内でクルリと回頭をして桟橋へと着きました。

しもきた

すでに入港をしていたしらせとともに、呉の輸送艦しもきたも居て、
久しぶりにバラエティ豊かな陣容となった横須賀港を眺めていると、
補給艦を収めたタグボートが沖合に向けて再び走りだしたので行く先を追うと…

DD-118 ふゆづき

働き者のタグボートは、今度は護衛艦を従えて入ってきました。

DD-118 ふゆづき

艦番号をみれば、3月に竣工をしたばかりのふゆづきで、横須賀へは初入港でしょうか。

あきづき型が2隻

さらに桟橋には、こちらも3月に竣工したばかりのすずつきが係留されており、
最新鋭艦のどうしの並びを早くも見ることができました。
なお、このすずつきとふゆづきという艦名は、帝国海軍の秋月型駆逐艦によるもので、
駆逐艦の涼月と冬月は戦没することなく生きながらえるも賠償艦とならず、
最後は他の1隻の駆逐艦とあわせた3隻が並んで北九州の港の防波堤となりました。
そんな歴史を持つ2隻の名前が護衛艦に付けられて、その2隻が並ぶ姿を見ることになるとは、
駆逐艦の2隻は思いもしなかったことでしょう。

コメント:管理人
【2014/04/11 22:44】 | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
奥の細道を行く(3)
ボンネット型のL20キャリイをベースに造られたキャブオーバー型のL30キャリイ。
昭和41年2月に発売され、L40登場までL20と併売をされたモデルです。
幌付き荷台に補助椅子があって4人乗車可能な珍・軽トラL30Hは居りませんでしたが、
羽前の国では、1日目より一方開のL30、2日目からは三方開のL31の2台と対面をしました。

L30キャリイ
L30キャリイ

鈴木自動車工業
スズキ・キャリイ(L30)

羽前の国にて
2014年4月撮影

羽前の国にありながら、奥羽山脈を越えた先の磐城の国の所有者住所が書かれたキャリイ。
中古を買ったにしても関係の無い住所ならば塗りつぶすこともできたはずで、
このキャリイが歩んできた道のりが気になるワンアクセントとなっています。
こちらの個体は、荷台や車内を物置として使い今だに現役で、

L30キャリイ

車内を覗いたときに見えた運転席メーターは、スズライト・キャリイFEみたいな大変簡素なもので、
初期のL30であることがわかりました。

L30キャリイ

MCを受けた後のL30では、グローブボックスを備えたダッシュボードとなっていて、
メーターパネルも大きく見やすいものに改められています。

L30キャリイ

スズキ・キャリイ(L31)

羽前の国にて
2014年4月撮影

2日目に見つけたキャリイは、案内をして頂いた羽前の国の旧車狂も驚きの1台で、
てっきりもう無いとばかり思っていた個体に、約30年ぶりの再会となりました。

多くの草ヒロを目にして、管理人の草ヒロモードが全力稼働となった2日目。
時間や立地の都合から撮影には至らなかった個体も多くありましたが、
果樹園の中でお顔を隠して置かれていた軽トラに気が付き、
管理人より羽前の国の旧車狂さんへ「L30キャリイっぽいのが居ました。」と申告をすると、
確かにその辺に居たという話となり、戻ってきた時に寄ることにしました。

大きなひと仕事を終えて戻ってきて確認をしてみると、
撮影アングルを見つけるのにも困るくらいに囲まれていて、
辛うじてL30キャリイとわかる写真は撮れましたが、
我ながら良く気がついたものだと関心をする隠れ様です。

コメント:管理人
【2014/04/11 21:17】 | 360 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(2)
クラウンピックアップ
クラウンピックアップ
クラウンピックアップ

トヨタ自動車工業
トヨペット・クラウンシングルピック(RS56)

羽前の国にて
2014年4月撮影

初代と2代目ではマスターラインを名乗ったクラウンの商用車モデルは、
昭和42年9月登場の3代目よりクラウンを名を冠することとなりましたが、
ピックアップはこの代限りとなり、クラウンを名乗った最初で最後のモデルになりました。
それでも、3代目のピックアップには、シングルピックとダブルピックの2車種に、
エンジンは、6気筒M型(MS系)と、4気筒5R型(RS系)のふたつがあり(ともにガソリンエンジン)、
乗車定員と最大積載量は、シングルピックが3人の750kg積、ダブルピックは6人の500kg積でした。

こちらの個体は果樹園のど真ん中にあり、姿は遠くからでも確認できるものの、
羽前の国の旧車狂さんの案内なしに普通に見かけていたならば、
林立する支えの杭に阻まれて望遠レンズでの撮影すら難しいものでした。
また、この個体の調査も、昭和43年式であり昭和50年52年に廃車となったこと、
ボンネットの中に内包されているエンジンが5Rであることなど完璧でした。
この個体のエピソードとしては、オーナーが親から買って貰ったもので、
遊びに使うのだか仕事に使うのだかハッキリとしない車だと、周囲に揶揄されたといいます。
現在も荷台部分をメインに物置として使われていて、
荷台部分の鉄板はチリチリにサビて崩れて底抜けになりつつありますが、
ボディー下のフレームはしっかりとしていて歪みは見られず、しっかりとしています。

クラウンピックアップ

冒頭で最初で最後と書きましたが、ピンク色のクラウンという奇抜な事は限定でやれたとしても、
クラウンのトラックを造ろうなどとは、今の社長をもってしても実現の見込みはないことでしょう。

コメント:管理人
【2014/04/10 22:27】 | トラック | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
横浜あれこれ
サファリ
サファリ
サファリ
サファリ

日産自動車
西部警察劇用車
サファリ4WD(1981年:VRG160型)

日産グローバル本社ギャラリーにて
2014年4月8日撮影

西部警察パート1の末期から館ひろし復活とともに、
軍団に特別機動車輌隊をジャパンスカGターボ乗りが発足!
牽引免許を持ってた源田刑事こと苅谷俊介がハンドルを握った。
てな車が横浜本社に飾られてました。
カーコーティングの会社に展示されていて、
ゴリラ車とともにあると思ってましたが…
久々に石原プロと日産が組んでほしいものですね。

コメント:鈴木B360
写真撮影:管理人

管理人は午前中から横浜へと出かけて日産詣でをしたところ、
妙に浮いた車が展示されていたもので鈴木B360に写メを送りましたところ、
西部警察の大ファンであるもので異様にテンションが上がってしまい、
鈴木B360も仕事終わりにグローバル本社ギャラリーへ行き堪能してきたようです。
そして鈴木B360より「奥の細道脱線してサファリ記事よろしく!」とメールありまして、
管理人が「記事原稿送ってください。」と返すとすぐに原稿が上がってきまして、
久しぶりに鈴木B360コメントの記事となりました。

三菱バス

三菱自動車工業

MS系かしら?
神奈川県横浜市にて
2014年4月8日撮影

唐突に写真を出した青く塗られた廃バスは横浜港に佇む1台でして、
日産本社から歩いて2キロほどの所に今は落ち着いています。
草ヒロ的視点では物置の類とも見てしまうところですが、
港ヨコハマで有名なバスバーの昼間の姿であります。

「奥の細道を行く」は、記事コメントの作成が間に合わず、本日はお休みします。

コメント:管理人
【2014/04/09 07:00】 | 保存車 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
奥の細道を行く(1)
ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)
ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)
ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)
ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)

日産自動車
ダットサン・ブルーバード1200ファンシーデラックス(DP410-L)

羽前の国にて
2014年4月撮影

ハクビシンの獣害で耕作放棄地となった果樹園の2代目ブルーバード。
その正体は、『ご婦人用に作られた世界唯一の車』を謳い、
310と410にラインナップをされたファンシーデラックスです。
OT誌で有名過ぎる個体といざ対面をしてみると、
紙面からは想像のできなかったジメジメっとした空気が辺に漂っていて、
農薬からではないサビに覆われた姿にナルホドと合点がいきました。

ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)

羽前の国の旧車狂さんの調査によれば、
この個体は昭和38年9月から12月製造の1964年式であり、
初期の「尻下がり」と揶揄されて、コロナにリードを許すもととなったモデルでした。
7~8年落ちで購入されて使われ昭和52年に廃車となり物置として置かれ、
後にホイールやホイールキャップとラジオが部品取りされるも、
物置には影響がなく使われ続けましたが、57年に害獣駆除の散弾銃の流れ弾により
フロントガラスが被弾破損して、物置としての機能を大きく損ない、
ブルーバードの後方に納屋が建てられると御役御免になり、荒廃が進んで今に至ります。

ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)
ダットサン・ブルーバードファンシーデラックス(DP410-L)

ファンシーデラックスの装備が残っていないものかと車内を覗きこめば、
ガラスがほぼ無くなり荒れたい放題となっていてその痕跡を求めるのは難しく、
助手席側の化粧品を入れる事のできるミラー付きサンバイザーは影も形もなく、
傘立てやカーテンといったものも探しだせず、ウィンカーと連動するオルゴールくらいは、
ハンドル周りを分解してみれば多分残っていることでしょう。

コメント:管理人
【2014/04/08 20:40】 | セダン | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
奥の細道を行く(0)
クラウン
クラウン

トヨタ自動車
クラウンセダン2000スーパーデラックス(E-GS130)

2014年4月撮影

このクラウンに、何も知らずに遭遇していたら、いったいどんなオーナー像を想像したことでしょう。

130系クラウンが畑でガッツリと物置になっていることに、まずは度肝を抜かれます。
車体を見回して見つけた、MOONEYES、ノスヒロのステッカーから自動車趣味のある人と想像ができ、

クラウン

グレード違いのスタンダード顔となっているとこに、ひとクセもふたクセもありそうな雰囲気が出て、
極みとばかりにグレードエンブレムの横に1960年代のトヨグライドのエンブレムがあれば、
これはもう、筋金入りの趣味人だということは疑いようがなく、旧車狂なのでは!と思うところです。

と、まあ茶番のような前置きをしましたが、このクラウンのオーナーは、
今回の羽前の国取材を段取りしてくださった、羽前の国の旧車狂さんになります。
1日目の夕暮れ時に数々の草ヒロを巡りつつ、『自前の草ヒロ』を紹介していただきました。

筋金入りの旧車狂をもってしても、自分の畑だからとはいえ簡単に廃車を置けた訳ではなく、
家族から出された条件に従って今のクラウンの草ヒロ姿があります。
条件その1は、物置として使う以外に目的なく置くのはダメということで、
この連載で後に出ます廃車を、飾るため引き込もうと話をしたところ、拒絶をされたとのことです。
もうひとつはこの先の話で、ガラスが破れて物置として使えなくなれば解体屋に託すというもので、
アクシデントに見舞われて破れ、補修などがされているものを目にすることがあるので、
安全運行に努めたとしても何が起こるかはわからず、油断のできないところであります。

そんなシビアな条件のもとで物置生活を送るクラウンは、
平成18年12月に廃車されてから数えて7年と4ヶ月の物置歴であり、

クラウン

フロントガラスにマニアックにならぶ新旧の検査標章ステッカーでは19年2月までのところを、
雪シーズンを迎える前に19万キロ余りの力走にピリオドを打ちました。

クラウン

なお引退後は、使える部品は他の車に提供をしていてエンジンルームには隙間が覗き、
7年を経てタイヤを地面に埋める貫禄のある姿となるに加えて、

クラウン

車内は満載荷物の影でネズミが暴れ回り、座席シートがズタボロになっています。

羽前の国の旧車狂さんの元では、平成11年3月の購入から13万キロあまり走らせたそうで、
登録証明書でオーナーを前へと辿って行くと、最初のオーナーは(宮内庁)車馬科との由で、
新車当時に働いていたときには、羽前の国で物置となり愛用されたり、
よもやネズミが車内を走り回ろうとは思いもしなかったことでしょう。

コメント:管理人
【2014/04/07 22:12】 | セダン | トラックバック(0) | コメント(11) | page top↑
管理人、取材先より無事に帰ってまいりました。
季節は春目前

管理人は、昨日と今日の2日間にわたり、
羽前の国の旧車狂さんよりご招待いただきまして、
羽前の国へと取材に出かけておりました。

羽前の国の旧車狂さんの愛車・2代目クラウンで、
羽前の国が誇る廃車/草ヒロをご案内いただいたのですが、
2日目の天候は雪模様となり、涙目テールが本当に泣いちゃうような中で行われました。
取材対象は、羽前の国の旧車狂さんによって厳選された今なお残る車たちで、
探検隊が主力と称する世代は、道中多数見かけのを全く相手としないのにも関わらず、
2日間合わせて12時間あまりをフルに使い切りました。
なので、連載は自信を持ってお送りする面々のみで参ります。

本日は、何の取材だったのかの報告になり、
「奥の細道を行く」と題してお送りする連載の開始は、4月7日を予定いたしております。

コメント:管理人
【2014/04/05 22:54】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
取材とその他もろもろでブログの更新をお休みします。
お知らせ猫

タイトルにありますように、
取材とその前後をビッタリと挟む泊まり仕事のため、
ブログを更新する余裕が無いため、4月3日から6日までの更新をお休みいたします。

草ヒロ探検隊管理人
【2014/04/02 21:42】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
山梨探索2011~2012(24)
IMG_2886.jpg

甲府盆地で草ヒロを満喫したあと、お気に入りの温泉に入り疲れを癒やし、
いつものように、中森明菜のベストをサウンドに神奈川への帰路へとついたのですが、
何を思ったのか、果樹園地帯へと道を逸れて流していると、1台見つけてしまいました。
道路からハイビームで照らせたので撮影をしたのですが、
ヘッドライトがギラギラしたなんとも言えない形相となってしまい、
ひと月置いてから機会をつくり、昼間に再訪問をしました。

ギャラン14L SL
ギャラン14L SL

三菱自動車工業
ギャラン14L SL(A54US)

山梨県甲府盆地にて
2012年2月撮影

このギャランのためだけに、昼から甲府盆地へと出かけました。
到着をしたときには日は傾きつつありましたが、太陽のもとでギャランとご対面しました。
夜に無理矢理に照らされてギラギラしていたお目々も昼間にじっくりと見てみれば、
フロントグリルやテールランプが深いサビに縁取られていて、
年老いてシワまみれになった好々爺のような穏やかな表情でした。

昨日の記事で、初代の前期型を紹介したので空かさず出しました。
セダンは、昭和46年9月のMCで角目2灯から丸目4灯に大変身をするとともに、
1300は1400へ、1500は1600へと排気量アップが実施されました。
この個体は、1400の最上級グレードのSLで、外から見て目立つ大型シートの他、
内装の装備が豪華に仕上げられていました。

コメント:鈴木B360&管理人
【2014/04/02 20:03】 | セダン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
聖地探索2012(78)
コルト・ギャランA- I

昨日出したカレンダー写真の原版では春といった絵になっていますが、


コルト・ギャランA- I

それとは反対方向の山々を望めば、スキー場が営業している冬景色で、
この地域の名所である菜の花畑は、4月26日だというのに緑一色で開花が遅れていました。
その代わり、菜の花が咲けば人々で賑わう一帯には観光客の姿は見られず、
立派な桜と草ヒロを静かに見ることができました。

コルト・ギャランA- I
コルト・ギャランA- I
コルト・ギャラン

三菱重工業→三菱自動車工業
コルト・ギャランAIデラックス(A51FE)
のちに、コルトの名が取れる
長野県中野飯山地域にて
2012年4月撮影

昭和44年12月に発売されたコルト・ギャラン。
登場前の10月に開催された第16回東京モーターショーでは、
従来のセダンのコルト1200や、ファストバックのコルト11-Fなどと展示をされ、
コルト・ギャランは、1300のAIと1500のAIIをラインナップして、
従来のコルトより車格をアップさせての登場でした。
登場翌年には、従来のコルトが整理をされて消え、
自動車ガイドブックでは、コルトの名が取れてギャランとなりました。

こちらの個体は、自動車の形はしていても、物置として使い倒されていて、
農道から眺めた姿は、鉄板やビニールシートに重しのタイヤを載せてニギヤカで、
フロント周りのパーツは尽く抜け去っていて、「はて?どちら様で!」てな感じに、
乗用車に疎い管理人には、ひと目見ただけでは判断が付きませんでした。
残っていたエンブレムと、抜け落ちたライトが丸目ではなく角目であるところから、
初代(コルト・)ギャランの前期型(~46年9月MC)1300のAIとわかりました。
ボディーカラーは、元は鮮やかなイエローで、この風景の中では浮いていたことでしょうが、
色落ちをした今の姿は、桜の花びらのように淡い色合いとなっていて、風景にマッチしています。

コメント:管理人
【2014/04/01 23:08】 | セダン | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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