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ニッサン・キャブスター!ダットサンではありません!!
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【2013/05/31 23:48】 | バス | page top↑
13GWに迷える子羊たち(11)
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【2013/05/30 23:27】 | バス | page top↑
13GWに迷える子羊たちより~ボツネタ。
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【2013/05/29 08:00】 | 複数車種 | page top↑
13GWに迷える子羊たち(10)
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【2013/05/28 21:22】 | 複数車種 | page top↑
13GWに迷える子羊たち(9)
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【2013/05/28 20:40】 | 複数車種 | page top↑
今日は更新おやすみです。
急遽泊まりの出勤になりましたので、本日に更新の余裕なく明日二日分出せたら出します!
【2013/05/27 07:35】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
13GWに迷える子羊たち(8)
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【2013/05/26 19:20】 | コーチ・ワゴン・1BOX | page top↑
13GWに迷える子羊たち(7)
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【2013/05/25 23:53】 | 複数車種 | page top↑
13GWに迷える子羊たち(6)
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【2013/05/24 12:00】 | トラック | page top↑
13GWに迷える子羊たち(5)
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【2013/05/23 19:42】 | バス | page top↑
13GWに迷える子羊たち(4)
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【2013/05/22 21:54】 | 複数車種 | page top↑
13GWに迷える子羊たち(3)
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【2013/05/21 16:39】 | 360 | page top↑
探検隊周辺の草ヒロ(5)
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【2013/05/21 16:17】 | 2ドアHT・クーペ | page top↑
13GWに迷える子羊たち(2)
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【2013/05/20 18:59】 | トラック | page top↑
13GWに迷える子羊たち(1)
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【2013/05/19 06:00】 | セダン | page top↑
閑話休題
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【2013/05/18 15:05】 | 複数車種 | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(10)
クモハ352
クモハ352
クモハ352

日立電鉄
クモハ352

静岡鉄道クモハ352→日立電鉄クモハ352
茨城県にて
2008年6月2日撮影

昭和43年に静岡鉄道が自社工場で製造した電車は、日立電鉄に譲渡され使用され、
廃車後は静岡鉄道に里帰りせず、畑で倉庫となる道を歩みました。
パネルバンの点在する光景までは日常の範疇ですが、
18m近くもある電車車体が畑にある光景は異様で、
草ヒロでは威圧感のある頭無しのパネルが、この時ばかりは小さく見えました。
車体に6箇所ある両開きのドアは錆び付いて用を為さなそうで、
住宅用のドアが貫通路にはめ込んであるのを見て、
ジャストサイズ!じゃないのとえらく感心してしまいました。

コメント:管理人
【2013/05/17 00:23】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(9)


日立電鉄
モハ3023

茨城県にて
2008年12月8日撮影

日立電鉄が続きます。
今日の2両は、茨城を愛して止まない鈴木B360がドライブで撮ってきてくれたものです。

この車両は幸運なことに日立電鉄廃止後に模型店経営の個人に引き取られたもので、
もとは昭和30年代半ばに製造された営団地下鉄の2000形という電車で、
銀座線や丸ノ内線で活躍していたものが改造の上で日立電鉄に譲渡されました。
銀座線や丸ノ内線なのにパンタグラフが付いているのは、一番わかり易い改造点です。
日立電鉄では廃線とともにこの1両以外が処分されてしまいましたが、
銚子電鉄に同じ改造をうけた2両が今も現役で居ます。

13051603.jpg

銚子電鉄
デハ1002

銚子電鉄仲ノ町駅にて
2008年1月10日撮影

13051602.jpg

日立電鉄
モハ1001

茨城県にて
2008年12月8日撮影

もう1両はモハ3023から車で10分くらいの場所で、
昼間ならば気がつけますが夜なら見逃すだろうと思えるくらい、ガッチリと軒下に収まっていました。
雑貨店の店舗として使われているようで、赤いボディーに枠部分の緑がいいアクセントです。

コメント:管理人
【2013/05/16 01:09】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(8)
モハ13
モハ13

日立電鉄
モハ13

相模鉄道キハ1000形→相模鉄道モハ1000形→東京急行電鉄デハ1050形→日立電鉄モハ13
茨城県にて
2008年6月2日撮影

この車両を一言で表すと、『ワイルドな流れ者』です!

元は昭和10年に汽車会社で製造されたディーゼル電動車で、
JR相模線の前身の相模鉄道(旧)で)運行されていました。
ディーゼル電動車とは、ディーゼルエンジンで発電した電力で
電気モーターを駆動させ走行するという、なんとも回りくどく思える車両で、
同線が国に買収されると、電車に改造をされて西谷~二俣川の600V電化区間で運行され、
同区間1500Vに昇圧されると、日立電鉄に譲渡されました。
この時点のメカニズムと働く場所の流れっぷりですでにお腹一杯ですが、
日立電鉄で廃車となった後に待っていた余生は、もっともワイルドになりました。

私、畑で倉庫になりました!
鉄道会社の敷地で倉庫となる電車廃車体はあれど、
草ヒロ自動車界では『日常風景』の畑で物置/倉庫の余生は、
写真で眼にした時には、「ワムやコンテナであるまいに、何をしてんのよ!」と突っ込んだとこですが、
実際に現地で目にすると、「ホントに電車があるやん!」と笑うしかありませんでした。

コメント:管理人
【2013/05/15 23:37】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(7)
ケハ601

キハ20系の記事の際に『廃車済み』という大雑把すぎる記載をしてしまい、
ひたちなか海浜鉄道よりフォローのコメントをいただきました。
記事には加筆修正をしましたが改めまして、

キハ200の3両は今もしっかりと那珂湊駅構内にあります。

管理人も、「鉄」の趣味活動で、近いうちに乗り鉄・撮り鉄をしに行こうかと思っており、
こんな記事でもご覧になって、ひたちなか海浜鉄道に興味を持たれた方は、
乗りに行ってみられては如何でしょうか。

ケハ601

茨城交通
ケハ601

ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

昭和35年(1960年)に新潟鐵工所で製造されたケハ600形。
ステンレス車両黎明期の車両だけあって車体のガワはステンレス製ですが、
台枠や骨組み部分には普通鋼が用いられているセミステンレス車となっており、
オールステンレス車の登場は昭和37年の東急デハ7000系が最初になります。
阿字ヶ浦の海水浴場にむけて走る、潮風を感じる鉄道は塩害を克服せんと、
ステンレスの割高な車両を製造したのですが1両に留まり、
総括制御(一つの運転台で複数の車両を制御し運転すること)ができないのがたたって
平成4年(1992年)に廃車となってしまい、足回りを取り払って車庫の片隅で倉庫になりました。
現在は、おらが湊鉄道応援団によって整備され、ギラリー601として活用されています。

押し出しの強い鼻先をしていますが、ちょっと小柄な2枚の窓が引き締めて、
キリッとした凛々しさを感じるお顔で、改めて、湘南顔はイイねぇと感じます。
汚れが目立つからと塗られてしまった国鉄のコルゲート・ズと違い、
海沿いで走り続けて、余生の今も変わらずギラギラしています。
ギラリーとは、よく名付けたものだと感心するいい名前です。

コメント:管理人
【2013/05/15 22:08】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(6)
準急用気動車のキハ55(旧キハ44800)で車体の軽量化と大型化に目処がつき、
キハ10系で増備が続けられていた一般形気動車に開発投入されたのがキハ20系です。
昭和32年から昭和41年にかけて、暖地向け、寒地向け、郵便車など1,126両が製造され、
全国の国鉄ローカル線で活躍をしたのに加え、同型車が中小私鉄各社にも導入されました。
昭和50年代半ばから廃車が本格化して数を急速に減らし、
活躍路線の廃線とともに保存車の道を歩み姿を留めたものなどや、
私鉄に譲渡された一部が今現在も残り走り続けているのと、
2エンジン搭載車の勾配線区向けのキハ52を除いて平成の初頭には姿を消します。
キハ52は21世紀になっても走り続けていましたが、今ではJR線上からは引退をしてしまい、
いすみ鉄道のキハ52 125と、アジアの国々に無償譲渡された以外は保存車を残すのみです。

本日は、キハ20系の保存車7両と、現役時代からおまけ2両の合計9両をお送りします。

キハ202

日本国有鉄道
キハ20 274

昭和34年度本予算車/昭和35年2月東急車輛製造/昭和59年7月廃車・鹿島臨海鉄道へ譲渡
鹿島臨海鉄道
2003
→茨城交通へ譲渡
茨城交通
キハ202
→廃車となるも現存
ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

キハ203

日本国有鉄道
キハ20 429

昭和36年度本予算車/昭和36年12月日本車輌製造/昭和59年7月廃車・鹿島臨海鉄道へ譲渡
鹿島臨海鉄道
2001
→茨城交通へ譲渡
茨城交通
キハ203
→廃車となるも現存
ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

国鉄から鹿島臨海鉄道へ譲渡される際にお顔の整形手術を受けて、
オデコからヘッドライトが移設されたためにデコッパチになってしまい、
年増なのに無理をして若者向けなヘッドライトとテールライトを埋め込んで、
異様な感じになってしまったキハ20です。
国鉄から鹿島臨海と渡り歩き茨城交通へやってきた働き者でしたが、
ワンマン化改造を受けずに廃車となり、部品取り車として残されていた風でした。
最近になってキハ203がタラコ色に塗り直されイベントに活用されています。

キハ204

日本国有鉄道
キハ20 243

昭和33年度第2次債務車/昭和34年4月東急車輛製造/昭和59年7月廃車・鹿島臨海鉄道へ譲渡
鹿島臨海鉄道
2004
→茨城交通へ譲渡
茨城交通
キハ204
→廃車となるも現存
ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

上の2両と同じく、国鉄~鹿島臨海鉄道を渡り歩いてきた1両で、
背後に同年代の現役車両と並ぶ中のサビ浮く廃車体でした。
現役車両の朱色とクリーム色の車両が国鉄~水島臨海鉄道と渡り歩いてやってきたキハ205、
その右隣りの青とクリーム色なのが羽幌炭砿鉄道からやってきたキハ222、
その右の廃車体と同じ色なのが留萌鉄道からやってきたキハ2005と、
バラエティ豊かなメンツの中では、デコッパチなのが玉に瑕です。

キハ20 247

日本国有鉄道→東日本旅客鉄道
キハ20 247

昭和33年度第2次債務車/昭和34年5月東急車輛製造/昭和63年6月廃車
真岡鐵道真岡駅にて
2006年6月25日撮影

SL形のユニークな駅舎の真岡駅の側線に、
倉庫として置かれていた足回り付きのキハ20です。
車号などの表記が消えてホロ枠までタラコ色なので再塗装したのでしょうが、
塗りムラやはみ出しも見られない丁寧な塗装っだったので、
その気合で車号も書いてあげて下さい!と思ってしまいます。
東急車輛のプレートが見えなかったら、誰さんなのか全く分かりませんでした。


キハ20 443

日本国有鉄道
キハ20 443

昭和36年度本予算車/昭和37年1月日本車輌製造/昭和62年2月廃車
天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅にて
2011年6月25日撮影

新製配置から廃車になるまで遠江二俣機関区から動くこと無く、
二俣線の転換ひと月前に廃車となり、天竜二俣駅構内に置かれました。
かつては隣の20系の他にも、キロ80やクハ111の運転台カットモデルも並んでいて、
クハ111は見てみたいなぁと思っていましたが、訪問時にはこの2両のみになっていました。
NPOによって近年に整備がされて維持管理されているため綺麗な姿を取り戻しており、
特に足回りは走行も可能なのでは?と思うほどに現役感が漂います。

キハ22

日本国有鉄道
キハ22 238
(写真手前)
昭和39年度早期債務車/昭和40年3月富士重工業製造/昭和62年2月廃車
キハ22 221(写真奥)
昭和38年度本予算車/昭和38年12月富士重工業製造/昭和62年2月廃車
北海道帯広市旧広尾線旧幸福駅にて
2012年8月25日撮影

「愛国から幸福へ」で空前のブームとなるも、
赤字ローカル線を養っていくのは難しく国鉄最末期に廃止となった広尾線。
幸福駅跡周辺は駅舎も線路も残されて交通公園となり2両のキハ22が残されました。
今まで紹介してきたキハ20が暖地向けな一方で、このキハ22は酷寒地向けとなっており、
車端にデッキを設け、窓は二重に、床には木の板を敷いて保温効果を高めています。
とかち帯広空港から程近いということもあり、この訪問時の観光は幸福駅からスタートしましたが、
キハ22と幸福駅の姿に感動を覚えたのも束の間、駅神の萌えキャラがふたりも居てびっくらこいて、
さらに最近の報道で駅舎を建て直すというのを知ってもう一度びっくらこきました。

キハ52 115

キハ52 115
大糸線南小谷駅にて
2005年1月15日撮影

キハ52 116

キハ52 125
大糸線南小谷駅にて
2005年1月15日撮影

おまけは、ちょいと昔の現役時代を写した2両です。
大糸線に最後まで残った3両のキハ52は幸運にも解体されずに全てが残り、
キハ52 115は津山の扇形機関庫に保存され、
キハ52 125はいすみ鉄道に引き取られて現役で走っています。
キハ52 156のまだ構想段階で陽の目を見ずに保管されています。
キハ52目当てで夜行日帰りの強行軍で出かけたりしましたが、
いすみ鉄道での活躍はまだ体感できていないので、
小湊鉄道のキハ200(キハ20とほぼ同設計。冷房用サブエンジンにトヨタ2Jを搭載(笑))を
乗り継いで乗りに行ってみたいものです。

コメント:管理人

今日の記事が思いのほか大きくなって時間を食ってしまい、
申し訳ありませんがコメントへ返信をする時間と、
明日の記事を作る時間が無くなってしまいました。
15日(水)に挽回しますので、それまでお待ちください。

草ヒロ探検隊 管理人
【2013/05/13 22:55】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(5)
クモハ12041と119系
クモハ12041
クモハ12041

鉄道省→(途中略)→日本国有鉄道→東海旅客鉄道
クモハ12041

2008年5月6日
長野県上伊那郡箕輪町にて撮影

■車歴
デハ73331/昭和3年(1928年)竣工
モハ30131/昭和3年(1928年)称号改正により改番
モハ11047/昭和28年(1953年)称号改正により改番
モハ10016/昭和28年(1953年)運転台撤去改造
クモヤ22112/昭和39年(1964年)運転台設置改造・事業用化改造
クモハ12041/昭和62年(1987年)旅客車化改造
平成14年(2002年)廃車

伊那松島運輸区の傍らに留め置かれたまま保管されていたクモハ12041。
昭和3年に落成した17m級の片運転台電動車モハ30形まで遡れる歴史ある電車で、
昭和28年に運転台を撤去する改造を受けて中間電動車のモハ10形となり、
昭和39年に撤去した運転台を車体両方に設置し直す改造を受けクモヤ22形となります。
この時点で、運転台を撤去したり付け直したりと大忙しです。
クモヤ22形になるとともに旅客営業からは離れ、事業用電車として裏方に回りますが、
国鉄末期の昭和62年(1987年)に再び改造を受けて旅客用のクモハ12形となります。
第4の人生をあゆみはじめたクモハ12041は主に飯田線でイベント列車として活躍しますが、
別事業者での鉄道事故をきっかけに高められたブレーキ装置の基準に合致できずに引退します。

伊那谷をウロウロしていて偶然通りかかった伊那松島運輸区で
クモハ12を撮影したのは平成20年(2008年)5月の事で、
廃車から6年が経ったボディーはサビや退色で痛々しい姿で、
佐久間レールパークにも入れずにどうするのだろうか?とサビいく姿を見て思ったものですが、
それから3年後にお色直しされリニア・鉄道館に収蔵されることになるとは思いもよらず、
さらには傍らで憩う119系が飯田線から居なくなるなど考えもしませんでした。

コメント:管理人
【2013/05/12 23:43】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(4)
都市近郊の非電化路線向けに開発されたキハ35系。
片運転台トイレ付きのキハ35、両運転台のキハ30、片運転台トイレ無しのキハ36の
3タイプ413両が昭和36年から41年にかけて製造されて、南は九州から北は新潟と活躍し、
昭和58年から老朽化による廃車が始まるも、残る所では残ったもので、
つい先日(2012年12月)までは千葉の久留里線で現役な車両も居ました。
私鉄に渡って改造を受けて生き長らえる関東鉄道の2両も今現在現役ですが、
JR線上からは姿を消してしまい、他にいすみ鉄道が超・前向きに1両の廃車体を有しています。
で、完全に保存車となった車両から3両をご紹介します。

キハ35~2006年
キハ35
キハ35

日本国有鉄道→東日本旅客鉄道
キハ35 70

昭和39年度本予算車/昭和39年11月日本車輌製造/平成8年9月廃車
わたらせ渓谷鐵道足尾駅にて
2006年5月4日と2010年5月8日撮影

キハ30

日本国有鉄道→東日本旅客鉄道
キハ30 35

昭和39年度第3次債務車/昭和40年9月新潟鐵工所製造/平成8年9月廃車
わたらせ渓谷鐵道足尾駅にて
2010年5月8日撮影

わたらせ渓谷鐵道足尾駅に保存されている2両。
初めて眼にした2006年はサビが浮き放題で落書きまでされて痛々しい姿でしたが、
2010年に訪問した際はお色直しもされて整備された状態で置かれていました。
ただタラコ色の首都圏色を塗り直すだけにとどまらず、
キハ30は登場時の朱色とクリーム色の一般色にリバイバルされましたが、
そうなると前面強化されたV形の帯が妙に仰々しく感じられました。

キハ35 900

日本国有鉄道
キハ35 901

昭和37年度第2次民有車/昭和38年4月東急車輛製造/昭和62年2月廃車
碓氷峠鉄道文化むらにて
2006年8月7日撮影

東急車輛といえばステンレスカーという時代は遠くなりましたが、
東急電鉄向けにステンレスカーを造る傍らで、国鉄にも納入をしていました。
初のオールステンレス気動車として意気込みも高く登場した900番台でしたが、
当初こそは塩害を克服せんと房総各線で活躍をしましたが、
視認性のために顔を塗られたのを皮切りに果ては首都圏色に塗ったくられ、
房総各線が電化電車化されると海沿いを追われ内陸の高崎へと移ります。
同じ志を持ったサロ153 900(セミステンレス)と同じような、
ちょいと残念な後年となりましたが、トップナンバーは解体されず保管され、
横川に鉄道文化村ができると展示されることになりました。

コメント:管理人
【2013/05/11 12:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(3)
0系

日本国有鉄道→東海旅客鉄道
0系 21-2023


昭和39年から61年までの22年間に38次に渡って3,216両が製造された0系新幹線。
昭和51年製造の22次車からは、0系で0系を置き換える交代劇が始まり、
国鉄末期まで後継モデルに恵まれず地道に増備・運用されたことにより、
新幹線といえばコレ!というイメージが広く国民に定着したのでしょう。

カットモデルとなって佐久間レールパークに置いてあったのは
昭和60年に東急車輛で製造された0系21形2023号車でした。
平成10年に13年の活躍で廃車となりましたが、
走行距離は3,727,493kmで自動車が真似できる距離ではありません。
佐久間レールパーク閉園後はリニア・鉄道館ではなく製造元の東急車輛へと里帰りを果たし、
一般の見学はできなくなりましたが、京浜急行の車中からは見えます。

コメント:管理人
【2013/05/10 06:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(2)
ED19 1
ED19 1

鉄道省→日本国有鉄道
ED19 1

長野県箕輪町郷土資料館にて
2008年5月6日撮影

ED62 14

日本国有鉄道→東海旅客鉄道
ED62 14

静岡県旧佐久間レールパークにて
2006年7月29日撮影

ED19は大正時代の6010形、後のED53を前身とする直流電気機関車で、
アメリカのウェスティングハウスで造られた6機が
電化されていた東海道本線で活躍の後は改造を受けてED19となりました。
昭和35年からは全機揃って伊那松島区にあって飯田線で貨物列車を牽引しており、
このED19やED18(リニア・鉄道館に保存車あり)、EF10(九州鉄道記念館に保存車あり)が、
昭和50年前後まで飯田線で活躍をしていましたが、それを一挙に置き換えたのがED62でした。

ED62は、前身を中央東線で活躍したED61とする直流電気機関車で昭和33年に登場し、
EF64の登場で中央東線を追われたのちは改造を受けて全18機がED62となり、
前記にあるように旧型電気機関車たちを飯田線から一掃しました。
しかし、鉄道貨物輸送の斜陽化により仕事がどんどん無くなっていき、
活躍の場所を失った14号機は昭和59年に廃車となり車籍を失うも、
工場の構内専用車として活躍の後に佐久間レールパークにやってきました。
リニア・鉄道館の開業に際しては保存車両とならず、解体されて果て現存しません。

今日紹介の2機の機関車はともに登場時は幹線で列車を牽引していましたが、
後釜が入るに及んで活躍の場を追われて転じていき、
転じた先では元に居た旧型車を淘汰して、その時ごとに敵役を演じてきました。
転じても仕事があった時代はまだ幸せで、ED19は半世紀あまり働けましたが、
ED62の頃となると勝手は違い、誰かに追い出されること無く活躍の場を失いました。

コメント:管理人
【2013/05/09 13:12】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(1)
鈴木B360より「1週間鉄道をやりなさい。」とオーダーをもらったので、
草ヒロ探検隊に突然降って湧いて出てくる恒例の鉄道ネタがスタートです。

2007年の夏に浜松から伊那谷南部まで山中を縦断した時に、
中部天竜駅に隣接して開設されていた佐久間レールパークに到着したのは午前8時。
オープンまで時間を潰して見学をするには、伊那谷への道中を考えてキツイところがあり、
「また来ればいいさ!」と先へ進んだのですが、2009年にリニア・鉄道館に役目を譲るため
佐久間レールパークは閉園してしまったので、今思えば惜しい事をしました。

クハ111

日本国有鉄道
クハ111-1

2007年7月29日撮影

昭和37年から57年にかけて2943両が製造された111・113系列。
ざっくりとトヨタのクラウンで例えると、2代目から6代目まで長い年月を
ほぼ2代目の形のままMCを繰り返しながら製造されたという具合です。

訪問当時、佐久間レールパークに野外展示されていたのは、
昭和36年度第2次債務車で日本車両で落成したトップナンバーであるクハ111-1で、
昭和37年に東海道本線の東京口で運用を開始し、後に静岡へ転じて動かず、
昭和62年にJRに継承されることなく廃車となるも解体を免れ佐久間へとやってきました。
佐久間レールパーク閉館後の現在は、名古屋のリニア・鉄道館で屋内展示されています。

横須賀線の1000番や1500番代に乗って育ったもので、
デカ目でグロベンでオマケに非冷房という姿を眼にする機会は全くありませんでした。
なので写真でしか満足に見たことがなかった姿を拝見したのは、この時が初めてでした。
ちなみに、このデカ目を鈴木B360に見せると気持ち悪いとの感想が出てくるのですが、
シールドビームを見飽きていた管理人的にはグッド!なお顔でした。

コメント:管理人
【2013/05/08 21:43】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
謹告
草ヒロ探検隊管理人より、リスナーの皆さまへ

いつもお世話になっておりますリスナーの皆さまにご報告があります。
昨日と今日で長野へと赴くと管理人は思っていましたが、
実際は他の場所へと1泊2日で出かけて参りました。

長野行きを予告して、お寄せ頂いたご厚情に応えることができず、
大変申し訳なく感じております。

草ヒロ探検隊 管理人
【2013/05/06 22:12】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
業務連絡的な、草ヒロツアー開催のお知らせ。
日本の原風景にあった草ヒロ

明日からの黄金週間の後半のラスト2日で、
草ヒロ探検隊は草ヒロの聖地である『長野県/さわやか信州/信濃の国』へと
1泊2日の探索ツアーに出かけて参ります。

管理人が単独で行った各地の逸品たちを、
相棒である鈴木B360にお見舞いしてやるのと、ご新規を求めてのツアーになりますが
佐久・上田・長野・中野飯山・松本の地域がターゲットとなっており、
ツアーコンダクターである管理人の腕にかかっているところですが、
鈴木B360より、異性に対して言うかのように「重い」と呟かれたので自重したいところです。

予備調査として、Google大先生のストリートビューにて「ヒト型カーソル」を
無差別に長野県内に投下をしたところ、そのまま大地と激突して果てたヒト型が多数の中で、
くちびるサンバーとB360トラックを拾い上げてきた優秀なヒト型もおり、
管理人のテンションは否が応にも高まっているところで、
鈴木B360の懸念するところとなりそうですが、
日々チマチマとブログの更新をしていく原動力となるハレ舞台なので、
「それぐらい許せ!」とあらかじめお断りを入れておきます。

管理人

ここから、更新についてリスナーの皆さんへお知らせです。

ちゃらちゃらと、こんな記事を拵えましたが、
この記事が出てからツアー出発まで余裕が全くないため、
記事更新は5月8日まで未定とさせてください。

草ヒロ探検隊
【2013/05/04 08:48】 | お知らせ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
探検隊周辺の草ヒロ(5)
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【2013/05/03 21:36】 | 外国車 | page top↑
きまぐれ伊那谷放浪記(32)
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【2013/05/02 15:00】 | 360 | page top↑
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