![]() トヨタ自動車工業 トヨタDB95 長野県松本市にて 2006年9月撮影 長野県松本市の国道19号沿いにあったトヨタのボンバスは、 探検隊黎明期の2006年9月に発見・撮影されました。 その日の探索では他にもトヨタ救急車、日野ルノー、ライトコーチなどを初発見しており、 今では決して超えられない黄金期の、思い出の1台であります。 ![]() 福山自動車時計博物館にて 2011年8月撮影 2007年8月に目の前を通った時に忽然と姿を消していて、 「わーーーー!」×2、と恐慌状態になりましたが、 ほどなくして福山自動車時計博物館にサルベージされたことが判明し、 ほっと安心したまま4年の歳月が過ぎて、 2011年8月にようやく再会することができました。 ![]() ![]() そして、忘れてならないのがお隣りのニッサンU592です。 3台の廃車体が並んだ時期も過去にはあったようですが、 こうして物言わぬ2台が並んでいる姿だけでも十分に圧倒されます。 4年越しの再会が叶ったので、、 今度は、いつの日かレストアが完了し動く姿を見てみたいものです。 コメント:管理人 |
![]() 日産自動車 ニッサンFRB42 福山自動車時計博物館にて この消防車を紹介するのにジュニアの簡単な説明をしますと、 昭和31年10月に登場した初代ジュニア(B40)は、 昭和33年の(B42)へのマイチェンを経て、 昭和35年には小型車規格の変更で(B140)へマイチェンという歴史を持ちます。 そして、このFRB42消防車はジュニアがベースなのですが、 そのまんまジュニアな消防車(FB42)とは異なって、 大型消防車(FS680)と同じエンジンを搭載した拡大版モデルになります。 側面にある検定の銘板によると、 昭和35年2月とあるのでモデル末期の個体とわかります。 ついでに昭和35年からのFRB140を過去に紹介しているので、 リンクを貼っておきます。 ↓ ↓ 2万アクセス記念企画(5) ![]() 日産自動車 ニッサンF41 福山自動車時計博物館にて この個体はそのまんまジュニアな消防車で、 昭和37年1月に登場した2代目ジュニア(40)が 昭和40年10月に排気量アップでマイチェンし、 ジュニア(41)となった後のモデルです。 側面の銘板には昭和42年検定とありました。 コメント:管理人 |
![]() ![]() ![]() ![]() 日野自動車 日野コンマース 福山自動車時計博物館にて 日野コンマースは昭和35年3月に 『新機軸の万能商業車』として発売され、 FF方式や四輪独立懸架にモノコックボディと、 意欲的な設計を多く採用していました。 しかし、コンマースが活躍するには時代は早すぎ、 2年あまりで生産が打ち切られてしまいます。 この福山自動車時計博物館にいる個体は、 走行可能な唯一のコンマースで、 探検隊が山梨で見た廃車体も貴重ではありますが、 さすがは福山!と賞賛したくなるコンディションです。 コメント:管理人 |
![]() ![]() トヨタ自動車工業 ライトエースバン 標準ルーフ1300デラックス(H-KM11V-JDJ) 長野県長野地域にて 2011年2月撮影 昭和53年にマイチェンされ約1年間造られた、 初代ライトエースでも若干希少なモデルが居ました。 フロントエンブレムとライトカバーが違うのと、 リアではエンブレムだったものがシールに簡素化されています。 バンパーが落ちるのか、ロープで縛ってありました。 コメント:鈴木B360&管理人 |
![]() ![]() 東洋工業 ルーチェ18004ドアセダンデラックス(E-LA4VS) 長野県長野地域にて 2011年2月撮影 縦目のルーチェレガートから、 昭和54年10月に新たなルーチェとして登場したモデルがこの個体になります。 マイチェンとは思えないくらい変わりました。 通称・ベンツグリルが立派で、 草ヒロになっても高級車の風格が失われません。 コメント:鈴木B360&管理人 |