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草ヒロ探検隊的グルメ街道の旅よりの道中にて


元長野電鉄2500系
長野県にて
2021年12月撮影

ニュースにて製造工場に里帰りが報じられていた保存中の長野電鉄2500系ですが、2021年12月に大きく変わった風景のなかに取り残された姿を撮影していました。
かつては写真の左側に店舗があり、そこのマスコットとして綺麗に維持管理されていましたが、店舗閉鎖解体後はポツンと2両のみ取り残され、訪問時に周囲では道路工事がせわしなく行われていました。
報道では2両のうちの顔をこちらに向け、パンタグラフを頭に載せている車両のみ里帰りが報じられていて、触れられていない奥の1両は?と思っていたら、先日の5月10日に現地を通った際に、後ろの車両に解体作業が入っているのを確認しました。
長年ペアを組んでいた2両の運命に明暗がはっきりとしていしまいましたが、鉄道会社自身が持て余して保存を断念して解体に踏み切りる物がいるのを思えば、里帰りできる1両は実に幸運です。

ただ里帰り復元は初めての話ではなく、最初に上田から帰った1両は綺麗に復元されるもその後色々あって、今は秋田県に居るという経緯を見るとだいぶやらかしているのもあり、2週目となる話に感じるところある風景でした。

なお、コメントで触れている解体風景の写真は、ちょいとセンチメンタルになったため撮影していません。

コメント:管理人
【2022/05/15 11:14】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
季節の廃車体
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2005年6月撮影

5月には工場開放のイベントに出て、たくさんの子供たちの記念写真に収められていたというのに、それから半月も経たないうちに最後の大奉公をして解体処分。
転覆するような事故に現役時代に遭遇しなかったのを誇りに旅立つ。

【2021/06/18 06:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄分補給

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2007年5月撮影

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2021年3月撮影

世代交代。
新天地でも元の職場のように追いつ追われつ。
写真一番下のやつは整形が過ぎて、顔を合わせた覚えもないくらい。
【2021/06/07 20:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
季節の草ヒロ~6/6


在りし日の長野電鉄2000系
長野電鉄信濃川田駅跡にて
2015年6月撮影

再活用の話しあって、路線廃止の時に運び込まれるも、朽ちるに任せ解体処分となる。
【2021/06/06 12:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
草ヒロの合間の「鉄」たち(12)
ワフ

日本国有鉄道
ワフ29000形かワフ29500形

長野県にて
2006年11月撮影

別荘が点在する高原地帯に置かれていたワフ。
もとは黒一色の貨車も、白樺の木にあわせて白色にお色直しされていました。
珍しい足回り付きに加えて、しっかりとレールの上に載っていて、右側木立に紛れるように信号機がこちらを向いているのからも、鉄道好きのオーナーに引き取られたとわかります。
荷室部分のドアは開けられ、開口部にはサッシ窓がはめ込まれ、バンガロー風の小屋に仕立て直されて、今でいうコンテナハウスの走りといった活用例です。

ワフ29737

日本国有鉄道
ワフ29500形29737

長野県JR飯山線信濃平駅にて
2006年11月撮影

駅の待合室に改装された1両。
もとからあった窓に加えて、駅名表記がある荷室側にも窓が付けられ、それなりに手間暇かけられたひと品。
コンクリートの立派な基礎も設えて、その上に載せられているのですが、ホームと同じならレールを敷いて足回りそのままの貨車を固定しても・・・という野暮な考えもよぎるところです。
あえて遠回りしているような姿も、まあ素人考えでは行かぬ、ちゃんとした使い勝手を考えての姿のはずです。
国鉄末期、廃車体を活用して経費節減をというアイデアのもと、このような貨車改装の駅舎は複数が造られ、長野県内では他にしなの鉄道平原駅があります。

コメント:管理人
【2021/01/07 06:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
草ヒロの合間の「鉄」たち(11)
ワフとワラ

日本国有鉄道
ワフ29500形車号不詳
(左)
ワラ1形13269(右)
長野県にて
2013年1月撮影

サンバーの記事でもこしらえようかとフォルダを覗いていたら、雪の中にステキに佇む黒い貨車の写真を見つけたので、草ヒロは急遽お休みです。
1両が単独なり同じ型が何両か連なりという、払い下げ貨車のある風景はありますが、異なる形式の貨車が連なって置いてるこの光景、本当に絵になります。
足回りの車輪は外されて地置きになっているものの、降りつもった雪がその印象をやわらげ、ホームに佇んでいるかのようにも見えます。
木々の葉が落ち、周りが雪景色となってポツンと居るように見えますが、こちら民家の庭先の物置で、貨車手前の物干しがあります。
左側のワフはデッキと小窓のある部分が車掌室、扉部分から半分が荷室という1両2役の構造です。
車体の右側にある「長」の文字は、長野の所属だったことを示していて、引退後に働いていた地元に落ち着きました。
右側の窓の一切ないワラは、全国津々浦々で見ることができる払い下げ貨車の代表格といえる有蓋車で、こちらは車号の表記がワラ13269と判読できました。
表記類が塗り潰れていないことから、大がかりな再塗装は行われていないと思われ、サビが目立っています。
ちなみに、ワフは昭和30年代前半に、ワラは昭和30年代後半頃に造られたものです。

コメント:管理人

【2021/01/06 21:12】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2020年の鉄道の日
台車

長野県にて
2006年12月17日撮影

初代ファミリアバンと初代タイタンに挟まれてポツンと1枚だけ写真がある某台車。
立派な庭石に囲まれて、庭園の配置物のひとつですよと言い張るように置いてありましたが、どうしてこんなところに?というのが第一の感想。
見たところ車輪間の幅は1067ミリで間違いなく、国鉄末期の払い下げ貨車から取っ払ったもの・・・というのがまず思いつくところでしたが・・・。
ざっと見てもパーツが多く(それでも欠品が目立つ)貨車の類についていたものではなく、空気ばねを搭載しているため客車でも二等車なり寝台車あたりが履いていたものであろうと考えられ、払い下げを受けた寝台車を列車ホテルにしていた例も数多くあり、車体は朽ち果て処分されたあとに残った忘れ形見かと思います。
台車は10系や20系あたりの物に見えます。

20系客車

SLホテルのイメージ
旧狩勝線ミュージアムにて
2012年8月26日撮影

SLを先頭に20系寝台客車を並べてSLホテルに仕立てられたもの。

本日、鉄道の日ということで、鉄ネタをサルベージしてお送りしました。

コメント:管理人


【2020/10/14 12:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2020/10/3「季節の草ヒロもどき」
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EF64形電気機関車
勝沼ぶどう郷にて
2007年10月27日撮影

昭和41年(1966年)に製造され中央本線で主にはたらき平成17年(2005年)に廃車となり、翌年にこの地に保存されました。
撮影したのは保存から一年足らずの時で、車体は雨で濡れ、日暮れ時で薄暗く、写真も何もへったくれも無い感じですが、パンを上げた姿は架線が上空にあれば現役機とみまごうくらい見事なものでした。

コメント:管理人
【2020/10/03 20:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
京浜急行800形引退


まだ働けるのだけれど、ちょいと職場環境の変化で・・・
ホームドア設置で、今や京急のなかでも異端となってしまった4ドア車の800形が引退しました。
写真は、待たなくてもビュンビュン800形が走り回っていた頃のもので、今は金沢シーサイドラインが乗り入れて橋上駅舎に変貌をとげた金沢八景駅での撮影です。

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3両編成の懐かしい姿に一時的にされて、訓練に供された時もありました。
当時、廃車となった仲間もおりましたが、訓練が行われる時期には解体が終わっているので、営業車がお仕事をお休みしてはせ参じていました。

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また別の年の訓練の様子。
オフィシャルが直々に(嘘)電車を仕立ててくれました。
この編成では技術的な問題で、どう頑張ったって電気があろうが運転手が居ようが走りません。
訓練の筋書きに忠実になるからこその、4両編成の京急800形でした。

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順序良くトップナンバーから廃車が始まり、新車の数に合わせて数を減らしていきました。
架線も無ければ、パンタグラフも上がっていない、最後のお遊び幕でなんちゃってエアポート急行に化けていました。

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廃車をされたあとは、東京で顔だけ保存されている1両が居るほかは、つつがなく重機のエサとなりバラバラに解体される道を歩みました。
昭和54年に、前年に同じくデビューした国鉄50系客車とともに、鉄道友の会のローレル賞を受賞する栄誉に浴した800形。
50系客車が早々に働き場所を失い、車齢10年ちょい越えくらいで大量廃車の憂き目を見たのにくらべ、最後の最後に玉突きのような廃車劇を展開するも、事故で1両も失われることなく活躍し続けた800形。
話題豊かな花形電車ではなく、俊足が売りの京急のなかで、100キロも出せば爆音を響かせて走っていた姿に、今日ピリオドを打ちました。

コメント:ちょいと昔は800形にあたると「ハズレ!」と思っていた管理人
【2019/06/16 21:27】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今日は京急のイベントでした
今日は草ヒロお休みして、京浜急行の久里浜工場で開催されたイベントの写真でお茶を濁しちゃいます。



時流にさからえず、ステンレスの電車を導入し始めた京急電鉄でしたが、何を血迷ったのかステンレスに塗装するという暴挙にでたのが昨年のことです。
赤い電車に白い帯というイメージへ回帰するための大英断でした。
それまでも引退間際の車両に登場時のカラーリングをリバイバルするなど、自社の歴史をふりかえってきて、会社創立120周年の節目を迎えた今年。
50年前の昭和43年にあった開通セレモニーを再現した花電車が、イベントに姿を現しました。
昭和52年に製造された電車に装飾を施したので、計算すると年数が合わないのですが、心意気とリバイバルの雰囲気は感じられます。

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花電車のほかにも3月に現役引退をした車両(左側2018号車)や、設備投資計画から来年の引退が濃厚になった車両(右側821-6号車)も登場しました。
現役を引退した左の車両は保存が検討されていて、運転されないものの今日のイベントまで通電して機械を生かされてきました。
保存検討で解体は免れたものの、運転をしない静態保存(残るのは先頭車のみか?)なのか、運転のできる動態保存(フル編成or編成短縮)なのか、これからの動向が気になる車両です。

年一のイベントだけではなく、そろそろ博物館を持っても良いのでは?という会社だと思うのですが、はてさて。

コメント:管理人
【2018/05/20 18:19】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
念には念を入れて
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2007年4月撮影

新型車止めと衝突実験本部と廃車体が1両~。
運転席の無い電車が1両ポツンといると間抜けです。
このあと手前にある青色の新型の車止めに実車を衝突させています。

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自動車の衝突実験は該当する新車をぶつけなければ意味ありませんが、この時は解体前の廃車が最後の奉公で供されました。
実車実験の成果あって、今では各所で確認できるまで普及しています。

【2018/03/10 05:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
北の台地への旅でお会いした電車
東急デハ3499
東急デハ3499

東京急行電鉄
デハ3450形3499

群馬県にて
2017年3月撮影

戦前の昭和6年から11年にかけて50両が製造されて長く東急線で活躍した昭和を駆け抜けた名車に群馬でお会いしました。
営業運転から退いたのが平成に入った頃でほとんどの車両が解体されましたが、こちらの3499号車は車両の両端に運転台があったため入れ替え用の車両として生き永らえ、東急の工場を経て最後は金沢八景の東急車輛で活躍しました。
保存のため運び出されたというニュースは知っていましたが、鉄道とは無縁の山の上にいらっしゃったとは存じませんでした。
現在は保存会の手によって補修作業が続けられています。
群馬へと居を移す前、仕事もなく朽ちるに任せて工場内にあった姿を塀際で見たのが最後であったので、久しぶりにお姿拝見しました。
なお、この近所に京浜急行の電車も落ち着いていたようなのですが、帰ってきてから知りました。

コメント:管理人
【2017/12/10 21:03】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
クラウンツアー前に(11)

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ロープーウェイゴンドラ

山形県にて
2016年4月撮影

観光果樹園が集まる広域農道を走っていて、自動車の廃車体を置いてあってお客さんが呼べるか?と考えるとネガティブな部分が大きく、気配を全く感じないまま流していると、道路脇にバンより大きくてバスより小さくマイクロバスくらいの大きさの箱を見つけて「違う!」と分かっていながらも車を停めてしまった一品です。
屋根の上にケーブルをガッチリとつかむアーム部分が無いため間が抜けた姿にはなっていましたが立派なゴンドラです。
、果樹園に来てからラッピングされたフルーツのキャラクターたちが賑やかにボディを彩り、観光客を呼び寄せるのに一役買っている姿を見て、バスだってボンネットバスくらい置かないとイメージにならないもんかね~とふと思ってしまいました。

コメント:管理人
【2016/05/04 18:39】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
會津食べ歩き旅行にて(1)
ライトエースバン
ライトエースバン

トヨタ自動車
ライトエースバン標準ルーフ(KM35V/KM36V)

年式:昭和63年MC~平成4年FMC
福島県にて
2015年8月撮影

道路脇に見つけた3代目ライトエースバン。
お一人ではない観光旅行で、草ヒロを見つけても近くで車がさばけず、1台を撮影するのに数分をロスするようではヒンシュクを買うのは避けられず、草ヒロは年式度外視で撮影がサッとできるものに限られたなかで、2代目のワゴンの後ろ姿をすっ飛ばしたり、雪で潰れたコースターを・・・と、このライトエースの撮影の前に数々の草ヒロをスルーしてると、良い雰囲気に耐えられなくなり走行スピードの遅い農道にそれて見つけました。
定期的に草ヒロを見ていないとムズムズするような性分となり、夏とはいえ草ヒロ成分の補給が欲しい所に、地味ながら1台まずは補給ができました。

AT-301
AT-301

会津鉄道
AT-301(元キハ30-18)

年式:昭和38年度第二次債務車

鉄道の廃車ネタは、観光で立ち寄った猫駅長で有名になった芦ノ牧温泉駅で拾えました。
元は通勤形タイプの何の変哲もない気動車だったのを、トロッコ車両風に改造され観光列車として運行されていましたが、老朽化には勝てず平成21年に廃車となり、芦ノ牧温泉駅に置かれています。
訪問日には車内開放されていませんでしたが、猫駅長バスの姿は拝見出来ました。

コメント:管理人
【2015/09/01 18:11】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雨ニモマケズ、草ニモマケズ、草ヒロ探検隊旅行記(2)

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雨にめげて電車の草ヒロがあると鈴木B360を唆して向かったのは廃線となった長野電鉄屋代線にある廃駅。
平成24年3月の廃線のおりに運び込まれた電車のなかで、3両は保存先が決まり去って行きましたが、活用されず野ざらしとなっている者たちもいます。
すでに線路は移動もままならないまでに周辺の少しを残して撤去され、加えて架線や架線柱の設備も撤去され電車が走っていた頃の名残はありません。
緑に覆われたなかにポツリと浮かぶ姿が幻想的にも見えます。

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廃駅に佇む2000系2001編成には、現役時代に何回か乗車の機会に恵まれ、最後は引退直前の平成23年2月に渋温泉旅行で長野駅から湯田中温泉駅までお世話になりました。
車体はその時すでに満身創痍とも言えるくらいにガタがきていましたが、走る整備は十分にされていて廃車が惜しいくらいの力走を見せてくれました。

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廃線から2週間ほどの平成24年4月中旬に撮影した写真と、

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3年以上が経過した今回の撮影写真。
ほぼ同じ方向を捉えた2枚を比べると、手前の銀色の電車は車体がステンレス製であるためほとんど変わりがありませんが、その他の周辺の景色は一変しました。
行政による整備計画は存在するようですが、構想を打ち上げたままでここまで来てしまい、壊すのは一瞬ですが残すのには継続的なケアが必要であるため、物が大きいだけに生半可な覚悟ではできないことですが、時が経てば経つほどに難しくなっていくように思えてなりません。

再び訪問したいと思い、一昨年の11月にはレンタサイクルで目指すも夕暮れと夕立に断念し、昨年は方向が合わずに訪問できず、今回雨にかまけて念願をぶち込んでみました。

コメント:管理人
【2015/06/25 22:20】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
涼をもとめて高原へ(14)
ワフ35632
ワフ35632

日本国有鉄道
ワフ35632
(車号は塗装痕から推定。型式はワフ35000形)
長野県にて
2014年7月撮影

草ヒロ物置の最大のライバルでありる鉄道貨車たち。
今現在もコンテナの放出が行われていて、伸び悩む草ヒロとは違い勢力拡大中ですが、津々浦々で置かれている姿が見られるようになったのは、国鉄末期の貨物システムの変革(合理化と業務縮小)からで、たかだか30年のことなので、その成長は眼を見張るものがあります。
こちらの貨車は、何処へ行くあてもなくい短い線路に閉じ込められていますが、放出された仲間の大半が車輪を外されて地面に直置きされ物置となった中で、錆びて朽ちいく姿とはいえ往時の面影を色濃く残す貴重な姿です。

コメント:管理人
【2014/08/12 07:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄と鉄の共演~今日は鉄道の日です。


本日は10月14日は、今年は体育の日でありましたが、
毎年恒例の鉄道の日(鉄道記念日)でもあります。
今日という日にピッタリな!鉄と鉄の共演、
青いS66と新長野色の115系をセットで撮影していたのをフォルダから見つけたのは、
マスターエース・サーフが発進したあとでしたが、10月14日のうちに出してみました。

この写真を撮影したのは2012年12月で、
当時のローカル運用は写真の115系の天下となっていましたが、
2013年春の改正から211系転用車の運用が始まってしまい、
この光景を見ることができるタイムリミットが近づいてきました。
普段は車で動き回っていて、気配の無い電車を待つなんてありゃしませんが、
この日の探索はレンタサイクルでノンビリと周っていたもんで、
自転車に跨ってしばしボーっと待っていると、程なくしてモーター音を轟かせてやってきました。
冬の澄み切った空気の中で聞くのは格別で、
沿線だけではなく山の上にいても響いてくるサウンドに聞き惚れます。

これから訪れる探索のベストシーズンにも、
レンタサイクルでノンビリ探索をしようと思っているので、
昨年の塩山~石和温泉付近から西進をして甲府の方へと進みたいです。

コメント:管理人

明日出す記事の作成時間を使って、これをこしらえてしまったので、
明日の更新はありません。
【2013/10/14 21:34】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
今日のデリカさん~2013年6月22日
デリカさん
デリカさん

三菱自動車工業
デリカスターワゴン1800ハイルーフXLスーパー(E-LO35PW)

神奈川県三浦半島にて
2013年6月22日撮影

デリカさんファンの皆さん、赤い電車党の皆さん、お久しぶりです。
管理人のお家の玄関を出て3秒で見える草ヒロ個体の四季の表情とともに、
京浜急行ネタを引っ張ってご紹介する「今日のデリカさん」のコーナーです。
うなぎスペシャルの穴埋めで「55な奴ら」を立ち上げたところですが、
もっと変な方向へと逸れてデリカさんにお出で頂きました。

デリカさんの近所の電車

2013年6月19日撮影

草ヒロでも野ざらし個体に愛の手を差し伸べて張られるカバー。
コンディション維持のために一番手早く取れる対策ですが、
個体を愛でる身にしては、物は確かに居てもどうしようもない状態で、
殆どの個体で「ハイ×2!カバー×2!!」と投げやりになるところです。
暴風が吹き荒れた19日には、カバーがピッチリと密着をしてシルエットが露わになりました。

デリカさんの近所の電車
デリカさんの近所の電車

2013年6月22日撮影

前触れもなく突然にカバーが綺麗さっぱり無くなっていました。
玄関を出てぐるりと周りを見回すと赤い電車が姿を見せていました。
久しぶりに姿を拝見できたので見に行くと、カバーに守られていただけあって、
昨年の今頃と退色具合など変わりないように見えました。
先日の年一回のフェスティバルでも開放されなかった保存車が、
このタイミングで全貌を現したので、何かの前触れも考えられますが、
先日の暴風でカバーがズレたのも考えられるので、しばらく注視して見ようと思います。
なにか動きがあれば、今日のデリカさんで続報をお届けする予定です。

コメント:やりたい放題の管理人

【2013/06/22 17:28】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(10)
クモハ352
クモハ352
クモハ352

日立電鉄
クモハ352

静岡鉄道クモハ352→日立電鉄クモハ352
茨城県にて
2008年6月2日撮影

昭和43年に静岡鉄道が自社工場で製造した電車は、日立電鉄に譲渡され使用され、
廃車後は静岡鉄道に里帰りせず、畑で倉庫となる道を歩みました。
パネルバンの点在する光景までは日常の範疇ですが、
18m近くもある電車車体が畑にある光景は異様で、
草ヒロでは威圧感のある頭無しのパネルが、この時ばかりは小さく見えました。
車体に6箇所ある両開きのドアは錆び付いて用を為さなそうで、
住宅用のドアが貫通路にはめ込んであるのを見て、
ジャストサイズ!じゃないのとえらく感心してしまいました。

コメント:管理人
【2013/05/17 00:23】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(9)


日立電鉄
モハ3023

茨城県にて
2008年12月8日撮影

日立電鉄が続きます。
今日の2両は、茨城を愛して止まない鈴木B360がドライブで撮ってきてくれたものです。

この車両は幸運なことに日立電鉄廃止後に模型店経営の個人に引き取られたもので、
もとは昭和30年代半ばに製造された営団地下鉄の2000形という電車で、
銀座線や丸ノ内線で活躍していたものが改造の上で日立電鉄に譲渡されました。
銀座線や丸ノ内線なのにパンタグラフが付いているのは、一番わかり易い改造点です。
日立電鉄では廃線とともにこの1両以外が処分されてしまいましたが、
銚子電鉄に同じ改造をうけた2両が今も現役で居ます。

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銚子電鉄
デハ1002

銚子電鉄仲ノ町駅にて
2008年1月10日撮影

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日立電鉄
モハ1001

茨城県にて
2008年12月8日撮影

もう1両はモハ3023から車で10分くらいの場所で、
昼間ならば気がつけますが夜なら見逃すだろうと思えるくらい、ガッチリと軒下に収まっていました。
雑貨店の店舗として使われているようで、赤いボディーに枠部分の緑がいいアクセントです。

コメント:管理人
【2013/05/16 01:09】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(8)
モハ13
モハ13

日立電鉄
モハ13

相模鉄道キハ1000形→相模鉄道モハ1000形→東京急行電鉄デハ1050形→日立電鉄モハ13
茨城県にて
2008年6月2日撮影

この車両を一言で表すと、『ワイルドな流れ者』です!

元は昭和10年に汽車会社で製造されたディーゼル電動車で、
JR相模線の前身の相模鉄道(旧)で)運行されていました。
ディーゼル電動車とは、ディーゼルエンジンで発電した電力で
電気モーターを駆動させ走行するという、なんとも回りくどく思える車両で、
同線が国に買収されると、電車に改造をされて西谷~二俣川の600V電化区間で運行され、
同区間1500Vに昇圧されると、日立電鉄に譲渡されました。
この時点のメカニズムと働く場所の流れっぷりですでにお腹一杯ですが、
日立電鉄で廃車となった後に待っていた余生は、もっともワイルドになりました。

私、畑で倉庫になりました!
鉄道会社の敷地で倉庫となる電車廃車体はあれど、
草ヒロ自動車界では『日常風景』の畑で物置/倉庫の余生は、
写真で眼にした時には、「ワムやコンテナであるまいに、何をしてんのよ!」と突っ込んだとこですが、
実際に現地で目にすると、「ホントに電車があるやん!」と笑うしかありませんでした。

コメント:管理人
【2013/05/15 23:37】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(7)
ケハ601

キハ20系の記事の際に『廃車済み』という大雑把すぎる記載をしてしまい、
ひたちなか海浜鉄道よりフォローのコメントをいただきました。
記事には加筆修正をしましたが改めまして、

キハ200の3両は今もしっかりと那珂湊駅構内にあります。

管理人も、「鉄」の趣味活動で、近いうちに乗り鉄・撮り鉄をしに行こうかと思っており、
こんな記事でもご覧になって、ひたちなか海浜鉄道に興味を持たれた方は、
乗りに行ってみられては如何でしょうか。

ケハ601

茨城交通
ケハ601

ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

昭和35年(1960年)に新潟鐵工所で製造されたケハ600形。
ステンレス車両黎明期の車両だけあって車体のガワはステンレス製ですが、
台枠や骨組み部分には普通鋼が用いられているセミステンレス車となっており、
オールステンレス車の登場は昭和37年の東急デハ7000系が最初になります。
阿字ヶ浦の海水浴場にむけて走る、潮風を感じる鉄道は塩害を克服せんと、
ステンレスの割高な車両を製造したのですが1両に留まり、
総括制御(一つの運転台で複数の車両を制御し運転すること)ができないのがたたって
平成4年(1992年)に廃車となってしまい、足回りを取り払って車庫の片隅で倉庫になりました。
現在は、おらが湊鉄道応援団によって整備され、ギラリー601として活用されています。

押し出しの強い鼻先をしていますが、ちょっと小柄な2枚の窓が引き締めて、
キリッとした凛々しさを感じるお顔で、改めて、湘南顔はイイねぇと感じます。
汚れが目立つからと塗られてしまった国鉄のコルゲート・ズと違い、
海沿いで走り続けて、余生の今も変わらずギラギラしています。
ギラリーとは、よく名付けたものだと感心するいい名前です。

コメント:管理人
【2013/05/15 22:08】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(6)
準急用気動車のキハ55(旧キハ44800)で車体の軽量化と大型化に目処がつき、
キハ10系で増備が続けられていた一般形気動車に開発投入されたのがキハ20系です。
昭和32年から昭和41年にかけて、暖地向け、寒地向け、郵便車など1,126両が製造され、
全国の国鉄ローカル線で活躍をしたのに加え、同型車が中小私鉄各社にも導入されました。
昭和50年代半ばから廃車が本格化して数を急速に減らし、
活躍路線の廃線とともに保存車の道を歩み姿を留めたものなどや、
私鉄に譲渡された一部が今現在も残り走り続けているのと、
2エンジン搭載車の勾配線区向けのキハ52を除いて平成の初頭には姿を消します。
キハ52は21世紀になっても走り続けていましたが、今ではJR線上からは引退をしてしまい、
いすみ鉄道のキハ52 125と、アジアの国々に無償譲渡された以外は保存車を残すのみです。

本日は、キハ20系の保存車7両と、現役時代からおまけ2両の合計9両をお送りします。

キハ202

日本国有鉄道
キハ20 274

昭和34年度本予算車/昭和35年2月東急車輛製造/昭和59年7月廃車・鹿島臨海鉄道へ譲渡
鹿島臨海鉄道
2003
→茨城交通へ譲渡
茨城交通
キハ202
→廃車となるも現存
ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

キハ203

日本国有鉄道
キハ20 429

昭和36年度本予算車/昭和36年12月日本車輌製造/昭和59年7月廃車・鹿島臨海鉄道へ譲渡
鹿島臨海鉄道
2001
→茨城交通へ譲渡
茨城交通
キハ203
→廃車となるも現存
ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

国鉄から鹿島臨海鉄道へ譲渡される際にお顔の整形手術を受けて、
オデコからヘッドライトが移設されたためにデコッパチになってしまい、
年増なのに無理をして若者向けなヘッドライトとテールライトを埋め込んで、
異様な感じになってしまったキハ20です。
国鉄から鹿島臨海と渡り歩き茨城交通へやってきた働き者でしたが、
ワンマン化改造を受けずに廃車となり、部品取り車として残されていた風でした。
最近になってキハ203がタラコ色に塗り直されイベントに活用されています。

キハ204

日本国有鉄道
キハ20 243

昭和33年度第2次債務車/昭和34年4月東急車輛製造/昭和59年7月廃車・鹿島臨海鉄道へ譲渡
鹿島臨海鉄道
2004
→茨城交通へ譲渡
茨城交通
キハ204
→廃車となるも現存
ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅にて
2008年6月2日撮影

上の2両と同じく、国鉄~鹿島臨海鉄道を渡り歩いてきた1両で、
背後に同年代の現役車両と並ぶ中のサビ浮く廃車体でした。
現役車両の朱色とクリーム色の車両が国鉄~水島臨海鉄道と渡り歩いてやってきたキハ205、
その右隣りの青とクリーム色なのが羽幌炭砿鉄道からやってきたキハ222、
その右の廃車体と同じ色なのが留萌鉄道からやってきたキハ2005と、
バラエティ豊かなメンツの中では、デコッパチなのが玉に瑕です。

キハ20 247

日本国有鉄道→東日本旅客鉄道
キハ20 247

昭和33年度第2次債務車/昭和34年5月東急車輛製造/昭和63年6月廃車
真岡鐵道真岡駅にて
2006年6月25日撮影

SL形のユニークな駅舎の真岡駅の側線に、
倉庫として置かれていた足回り付きのキハ20です。
車号などの表記が消えてホロ枠までタラコ色なので再塗装したのでしょうが、
塗りムラやはみ出しも見られない丁寧な塗装っだったので、
その気合で車号も書いてあげて下さい!と思ってしまいます。
東急車輛のプレートが見えなかったら、誰さんなのか全く分かりませんでした。


キハ20 443

日本国有鉄道
キハ20 443

昭和36年度本予算車/昭和37年1月日本車輌製造/昭和62年2月廃車
天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅にて
2011年6月25日撮影

新製配置から廃車になるまで遠江二俣機関区から動くこと無く、
二俣線の転換ひと月前に廃車となり、天竜二俣駅構内に置かれました。
かつては隣の20系の他にも、キロ80やクハ111の運転台カットモデルも並んでいて、
クハ111は見てみたいなぁと思っていましたが、訪問時にはこの2両のみになっていました。
NPOによって近年に整備がされて維持管理されているため綺麗な姿を取り戻しており、
特に足回りは走行も可能なのでは?と思うほどに現役感が漂います。

キハ22

日本国有鉄道
キハ22 238
(写真手前)
昭和39年度早期債務車/昭和40年3月富士重工業製造/昭和62年2月廃車
キハ22 221(写真奥)
昭和38年度本予算車/昭和38年12月富士重工業製造/昭和62年2月廃車
北海道帯広市旧広尾線旧幸福駅にて
2012年8月25日撮影

「愛国から幸福へ」で空前のブームとなるも、
赤字ローカル線を養っていくのは難しく国鉄最末期に廃止となった広尾線。
幸福駅跡周辺は駅舎も線路も残されて交通公園となり2両のキハ22が残されました。
今まで紹介してきたキハ20が暖地向けな一方で、このキハ22は酷寒地向けとなっており、
車端にデッキを設け、窓は二重に、床には木の板を敷いて保温効果を高めています。
とかち帯広空港から程近いということもあり、この訪問時の観光は幸福駅からスタートしましたが、
キハ22と幸福駅の姿に感動を覚えたのも束の間、駅神の萌えキャラがふたりも居てびっくらこいて、
さらに最近の報道で駅舎を建て直すというのを知ってもう一度びっくらこきました。

キハ52 115

キハ52 115
大糸線南小谷駅にて
2005年1月15日撮影

キハ52 116

キハ52 125
大糸線南小谷駅にて
2005年1月15日撮影

おまけは、ちょいと昔の現役時代を写した2両です。
大糸線に最後まで残った3両のキハ52は幸運にも解体されずに全てが残り、
キハ52 115は津山の扇形機関庫に保存され、
キハ52 125はいすみ鉄道に引き取られて現役で走っています。
キハ52 156のまだ構想段階で陽の目を見ずに保管されています。
キハ52目当てで夜行日帰りの強行軍で出かけたりしましたが、
いすみ鉄道での活躍はまだ体感できていないので、
小湊鉄道のキハ200(キハ20とほぼ同設計。冷房用サブエンジンにトヨタ2Jを搭載(笑))を
乗り継いで乗りに行ってみたいものです。

コメント:管理人

今日の記事が思いのほか大きくなって時間を食ってしまい、
申し訳ありませんがコメントへ返信をする時間と、
明日の記事を作る時間が無くなってしまいました。
15日(水)に挽回しますので、それまでお待ちください。

草ヒロ探検隊 管理人
【2013/05/13 22:55】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(5)
クモハ12041と119系
クモハ12041
クモハ12041

鉄道省→(途中略)→日本国有鉄道→東海旅客鉄道
クモハ12041

2008年5月6日
長野県上伊那郡箕輪町にて撮影

■車歴
デハ73331/昭和3年(1928年)竣工
モハ30131/昭和3年(1928年)称号改正により改番
モハ11047/昭和28年(1953年)称号改正により改番
モハ10016/昭和28年(1953年)運転台撤去改造
クモヤ22112/昭和39年(1964年)運転台設置改造・事業用化改造
クモハ12041/昭和62年(1987年)旅客車化改造
平成14年(2002年)廃車

伊那松島運輸区の傍らに留め置かれたまま保管されていたクモハ12041。
昭和3年に落成した17m級の片運転台電動車モハ30形まで遡れる歴史ある電車で、
昭和28年に運転台を撤去する改造を受けて中間電動車のモハ10形となり、
昭和39年に撤去した運転台を車体両方に設置し直す改造を受けクモヤ22形となります。
この時点で、運転台を撤去したり付け直したりと大忙しです。
クモヤ22形になるとともに旅客営業からは離れ、事業用電車として裏方に回りますが、
国鉄末期の昭和62年(1987年)に再び改造を受けて旅客用のクモハ12形となります。
第4の人生をあゆみはじめたクモハ12041は主に飯田線でイベント列車として活躍しますが、
別事業者での鉄道事故をきっかけに高められたブレーキ装置の基準に合致できずに引退します。

伊那谷をウロウロしていて偶然通りかかった伊那松島運輸区で
クモハ12を撮影したのは平成20年(2008年)5月の事で、
廃車から6年が経ったボディーはサビや退色で痛々しい姿で、
佐久間レールパークにも入れずにどうするのだろうか?とサビいく姿を見て思ったものですが、
それから3年後にお色直しされリニア・鉄道館に収蔵されることになるとは思いもよらず、
さらには傍らで憩う119系が飯田線から居なくなるなど考えもしませんでした。

コメント:管理人
【2013/05/12 23:43】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(4)
都市近郊の非電化路線向けに開発されたキハ35系。
片運転台トイレ付きのキハ35、両運転台のキハ30、片運転台トイレ無しのキハ36の
3タイプ413両が昭和36年から41年にかけて製造されて、南は九州から北は新潟と活躍し、
昭和58年から老朽化による廃車が始まるも、残る所では残ったもので、
つい先日(2012年12月)までは千葉の久留里線で現役な車両も居ました。
私鉄に渡って改造を受けて生き長らえる関東鉄道の2両も今現在現役ですが、
JR線上からは姿を消してしまい、他にいすみ鉄道が超・前向きに1両の廃車体を有しています。
で、完全に保存車となった車両から3両をご紹介します。

キハ35~2006年
キハ35
キハ35

日本国有鉄道→東日本旅客鉄道
キハ35 70

昭和39年度本予算車/昭和39年11月日本車輌製造/平成8年9月廃車
わたらせ渓谷鐵道足尾駅にて
2006年5月4日と2010年5月8日撮影

キハ30

日本国有鉄道→東日本旅客鉄道
キハ30 35

昭和39年度第3次債務車/昭和40年9月新潟鐵工所製造/平成8年9月廃車
わたらせ渓谷鐵道足尾駅にて
2010年5月8日撮影

わたらせ渓谷鐵道足尾駅に保存されている2両。
初めて眼にした2006年はサビが浮き放題で落書きまでされて痛々しい姿でしたが、
2010年に訪問した際はお色直しもされて整備された状態で置かれていました。
ただタラコ色の首都圏色を塗り直すだけにとどまらず、
キハ30は登場時の朱色とクリーム色の一般色にリバイバルされましたが、
そうなると前面強化されたV形の帯が妙に仰々しく感じられました。

キハ35 900

日本国有鉄道
キハ35 901

昭和37年度第2次民有車/昭和38年4月東急車輛製造/昭和62年2月廃車
碓氷峠鉄道文化むらにて
2006年8月7日撮影

東急車輛といえばステンレスカーという時代は遠くなりましたが、
東急電鉄向けにステンレスカーを造る傍らで、国鉄にも納入をしていました。
初のオールステンレス気動車として意気込みも高く登場した900番台でしたが、
当初こそは塩害を克服せんと房総各線で活躍をしましたが、
視認性のために顔を塗られたのを皮切りに果ては首都圏色に塗ったくられ、
房総各線が電化電車化されると海沿いを追われ内陸の高崎へと移ります。
同じ志を持ったサロ153 900(セミステンレス)と同じような、
ちょいと残念な後年となりましたが、トップナンバーは解体されず保管され、
横川に鉄道文化村ができると展示されることになりました。

コメント:管理人
【2013/05/11 12:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(3)
0系

日本国有鉄道→東海旅客鉄道
0系 21-2023


昭和39年から61年までの22年間に38次に渡って3,216両が製造された0系新幹線。
昭和51年製造の22次車からは、0系で0系を置き換える交代劇が始まり、
国鉄末期まで後継モデルに恵まれず地道に増備・運用されたことにより、
新幹線といえばコレ!というイメージが広く国民に定着したのでしょう。

カットモデルとなって佐久間レールパークに置いてあったのは
昭和60年に東急車輛で製造された0系21形2023号車でした。
平成10年に13年の活躍で廃車となりましたが、
走行距離は3,727,493kmで自動車が真似できる距離ではありません。
佐久間レールパーク閉園後はリニア・鉄道館ではなく製造元の東急車輛へと里帰りを果たし、
一般の見学はできなくなりましたが、京浜急行の車中からは見えます。

コメント:管理人
【2013/05/10 06:00】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(2)
ED19 1
ED19 1

鉄道省→日本国有鉄道
ED19 1

長野県箕輪町郷土資料館にて
2008年5月6日撮影

ED62 14

日本国有鉄道→東海旅客鉄道
ED62 14

静岡県旧佐久間レールパークにて
2006年7月29日撮影

ED19は大正時代の6010形、後のED53を前身とする直流電気機関車で、
アメリカのウェスティングハウスで造られた6機が
電化されていた東海道本線で活躍の後は改造を受けてED19となりました。
昭和35年からは全機揃って伊那松島区にあって飯田線で貨物列車を牽引しており、
このED19やED18(リニア・鉄道館に保存車あり)、EF10(九州鉄道記念館に保存車あり)が、
昭和50年前後まで飯田線で活躍をしていましたが、それを一挙に置き換えたのがED62でした。

ED62は、前身を中央東線で活躍したED61とする直流電気機関車で昭和33年に登場し、
EF64の登場で中央東線を追われたのちは改造を受けて全18機がED62となり、
前記にあるように旧型電気機関車たちを飯田線から一掃しました。
しかし、鉄道貨物輸送の斜陽化により仕事がどんどん無くなっていき、
活躍の場所を失った14号機は昭和59年に廃車となり車籍を失うも、
工場の構内専用車として活躍の後に佐久間レールパークにやってきました。
リニア・鉄道館の開業に際しては保存車両とならず、解体されて果て現存しません。

今日紹介の2機の機関車はともに登場時は幹線で列車を牽引していましたが、
後釜が入るに及んで活躍の場を追われて転じていき、
転じた先では元に居た旧型車を淘汰して、その時ごとに敵役を演じてきました。
転じても仕事があった時代はまだ幸せで、ED19は半世紀あまり働けましたが、
ED62の頃となると勝手は違い、誰かに追い出されること無く活躍の場を失いました。

コメント:管理人
【2013/05/09 13:12】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
鉄道ウィーク~草ヒロの合間の「鉄」たち(1)
鈴木B360より「1週間鉄道をやりなさい。」とオーダーをもらったので、
草ヒロ探検隊に突然降って湧いて出てくる恒例の鉄道ネタがスタートです。

2007年の夏に浜松から伊那谷南部まで山中を縦断した時に、
中部天竜駅に隣接して開設されていた佐久間レールパークに到着したのは午前8時。
オープンまで時間を潰して見学をするには、伊那谷への道中を考えてキツイところがあり、
「また来ればいいさ!」と先へ進んだのですが、2009年にリニア・鉄道館に役目を譲るため
佐久間レールパークは閉園してしまったので、今思えば惜しい事をしました。

クハ111

日本国有鉄道
クハ111-1

2007年7月29日撮影

昭和37年から57年にかけて2943両が製造された111・113系列。
ざっくりとトヨタのクラウンで例えると、2代目から6代目まで長い年月を
ほぼ2代目の形のままMCを繰り返しながら製造されたという具合です。

訪問当時、佐久間レールパークに野外展示されていたのは、
昭和36年度第2次債務車で日本車両で落成したトップナンバーであるクハ111-1で、
昭和37年に東海道本線の東京口で運用を開始し、後に静岡へ転じて動かず、
昭和62年にJRに継承されることなく廃車となるも解体を免れ佐久間へとやってきました。
佐久間レールパーク閉館後の現在は、名古屋のリニア・鉄道館で屋内展示されています。

横須賀線の1000番や1500番代に乗って育ったもので、
デカ目でグロベンでオマケに非冷房という姿を眼にする機会は全くありませんでした。
なので写真でしか満足に見たことがなかった姿を拝見したのは、この時が初めてでした。
ちなみに、このデカ目を鈴木B360に見せると気持ち悪いとの感想が出てくるのですが、
シールドビームを見飽きていた管理人的にはグッド!なお顔でした。

コメント:管理人
【2013/05/08 21:43】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
今日のデリカさん1月16日
今日のデリカさん

玄関ドアを開けたら3秒で見える、ニアレストな草ヒロさんの不定期便『今日のデリカさん』。
半島では珍しい雪景色でお送りしたかったところですが、
大雪の日は泊まりの仕事で出ている間に積もって溶けてしまいました。

リスナー歴の長い皆様、すぐに本流を更新したのでお許しください。
リスナーの中に数少なく居ると管理人が信じて止まない赤い電車党の皆様、
2000形の解体はスルーしましたが、お久しぶりでございます。

京浜急行2011

山手線にウグイス色の電車が帰ってきた日に、
ファインテックさんの塗装工場に2011号の姿が見えました。
イベントで既報なのでサプライズゼロですが、お懐かしいカラーリングが帰って来ました。
塗装をしたてでピカピカですが、数年後に訪れるであろう廃車を前に最後の花道を飾る姿なので、
嬉しさと悲しさが半々でせめぎ合う複雑な気分です。

2431

半々なところではありますが、5月のイベントではこれを掲げる姿を見せてくれるのでしょうか。

1000形保存車

野ざらしで赤が退色してサビも浮いていた1351と1356号車には、
昨年の秋頃にシートが被せられて風雨と紫外線から守られるようになりました。
全く別の電車であったらお笑いものですが、先日の風の強かった時にシートが一時捲れて
赤い電車に白い帯な1351号車が姿を少しだけ見せていました。

コメント:管理人
【2013/01/16 19:31】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今日のデリカさん~GWスペシャル
デリカさん

三菱自動車工業
デリカスターワゴン1800ハイルーフXLスーパー(E-LO35PW)

神奈川県三浦半島にて
2012年5月5日撮影

ハイエースさん
GWスペシャル

トヨタ自動車工業
ハイエースロングバン4ドアデラックス(H-RH30V/H-RH31V)

神奈川県三浦半島にて
2012年5月5日撮影

今日のデリカさんGWスペシャルです。
最近は京急ネタを引っ張ってくるアリバイ作りの色合い濃い連載で、
今回もお察しの通りでございます。
あらゆる手段を講じて個体をファインダーに捉える努力をした聖地探索を思い出し、
川の護岸をタタタッと歩いてって2代目デリカさん&ハイエースさんを捉えてきました。
クリアな写真で捉えられたのでハイエースさんも初登場のスペシャル版です。

ほぼ同年式の2台なのですが、屋根付きで海風の凌げているはずの
ハイエースの方がサビサビなのが何とも不思議です。
同じ園内なので並べて置いてあれば聖地に迫る良い情景になったのでしょうが、
第1・第2という具合に明確に分かれています。
悲しいことに、デリカ倉庫はよく使われているのを見るのですが、
ハイエース倉庫は枯れた苗が屋根に載るなど、遠目に見ても持て余し気味です。

で、以下
京急ネタです。

京急デハ1351
京急デハ1356

809・810編成の解体に向けての動きは既報の通りですが、
その後の4月半ばに1000形最後の残党である1351-1356号車が、
留置線の都合からか無架線地帯に押し出されて来ていました。
姿を久しぶりに近くで見られた上に、
分解解体禁止の旨が車体に記されており一安心しました。

デハ2411
勇退ズ

その安心も束の間で、泊まり仕事から帰ってくると、
何やら2000形なぞ見えてしまったもので行ってみますと、
2400番代の3編成(2411・2421・車番不明)が
パンタを降ろして留置されているではあ~りませんか。
増備された新車に4連がいなかったり、816編成が検査入場しており、
先日には2061編成が検査出場しているなどと、油断をしていましたが、
新車に押し出されて仕事にあぶれてしまったようです。

コメント:管理人
【2012/05/05 22:28】 | 鉄道系 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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